1月号
連載 教えて 多田先生! ニュートリノと宇宙のはじまり|〜第7回〜
反物質とは?
宇宙のはじまりとは―。最初に存在した最も基本的な物質、つまり素粒子を組み上げて恒星や銀河系をつくり、宇宙は出来上がったと考えられています。素粒子のひとつニュートリノを研究することで、なぜ宇宙の始まりが解明できるのか、この連載で素粒子物理学者の多田将先生に教えていただきます。
前回までは、何回かにわたってニュートリノについてお話ししてきましたが、今回は少し違って反物質についてお話しします。しかしこの反物質が、実は前回お話ししたニュートリノ振動実験と深く関わっていることが、次回以降におわかりいただけると思います。
さて、反物質などと言うと、なんか胡散臭い話をしているように思われる方もおられるかも知れません。しかし、反物質は物理学の理論体系に組み込まれているものですし、実験的につくり出すこともできる、実在するものです。今回は、これがどのようなものかについてお話しします。
反物質、素粒子の世界で言うと反粒子は、ある粒子に対して、電荷などの性質がちょうど反対になっている粒子のことです。たとえば電子に対する反粒子は、陽電子と言って、電子が負の電荷を持っているのに対して、全く同じ電荷量で正の電荷を持っています。それ以外の質量などの性質は全く同じです。この反粒子は、物質を構成する全ての粒子に対して存在します。たとえば、アップクォークに対して反アップクォークが存在しますし、ミューニュートリノに対して反ミューニュートリノが存在します。第4回で「物質を構成する素粒子は一二種類ある」と言いましたが、反物質を構成する素粒子は、それに対応して同じく一二種類あります。
ここで、「電荷が逆? ニュートリノはそもそも電荷を持たないのではなくて? 逆とはどういうこと?」と疑問に思われた方は、僕のこの連載をちゃんとお読みいただいている方です。ありがたい限りです。さきほど「電荷『など』」と言ったのは、実は電荷以外にも逆になっているものがあるからです。それはスピンです。スピンの概念は難しいのですが、ここでは、名前の通り自転のことだと思っておいて下さい。自転には、粒子によって決まっている回転の速さ(正確には角運動量)と、回転の向きがあります。素粒子はじっとしておらず必ず動き回っていますので(原子核の中のクォークですらそうです)、その動く進行方向に対して、左回りの回転(左巻きと言います)か、右回りの回転(同じく右巻き)かがあります。そして、粒子と反粒子とでは、回転の速さが同じで、向きがちょうど逆向きになっているのです。たとえば「左巻きの電子」の反粒子は「右巻きの陽電子」で、「右巻きの電子」の反粒子は「左巻きの陽電子」です。そして、電荷のないニュートリノにもスピンはありますので、反粒子はあります。たとえば「左巻きの電子ニュートリノ」の反粒子は「右巻きの反電子ニュートリノ」です。面白いことに、ニュートリノには右巻きのものはなく、全て左巻きです。そして、反ニュートリノは全て右巻きです。
この反物質(反粒子)がいったいどういうものかを考えるために、ここではひとつ、下世話な話ではありますが、借金の話をしてみましょう。「AさんがBさんから借金をする」とします。これはあまりよくない話ですね。まるでAさんがお金にだらしないみたいです。そこで、「BさんがAさんにお金を貸す」と言い方を変えてみましょう。どうですか、美談に聞こえるでしょう。Bさんがいい人のような。でも行われていることは全く同じなのですがね。この両者を、式にしてみます。まず、「BさんがAさんにお金を貸す」は、
B + (-m) = A
です。mはmoneyのmですが、Bさんは貸し付けることで所持金が減るので(-m)と負になっています。一方、「AさんがBさんから借金をする」は、Aさんの所持金が増えることから、
B = A + (+m)
となります。この両者が「言い方の違い」だけで実は同じ式で、また、mが左辺から右辺に移動するときに正負が逆転しているが、mの大きさは同じことがわかりますね。正負の逆転はAさんから見たかBさんから見たかによる立場の違いによるものですが、量は同じです。Aさんが借りた額とBさんが貸した額が違っていると揉め事になってしまいます。このとき、たとえば(-m)を「貸付粒子」、(+m)を「借金粒子」と名付けたとすると、この「貸付粒子」と「借金粒子」の関係が、粒子・反粒子の関係となるのです。つまり「同じものを逆の立場で見ているに過ぎないので、ちょうど正反対になっている」ということです。そして、このmの大きさが、電荷量や回転の速さ(角運動量)に当たります。
これをもとに、こんなことを考えてみましょう。この貸付粒子と借金粒子をくっつけてみます。すると、数式の上では、
(-m) + (+m) = 0
となります。では実際の現象ではどうなるのかというと、粒子と反粒子、たとえば電子と陽電子をくっつけると、0、つまり消滅してしまいます。ただしエネルギー保存則は成り立たねばなりませんので、反応前に両者が持っていたエネルギー(質量と運動エネルギー)を合算した分のエネルギーを持つ光となります。この現象を「対消滅」と言います。粒子と反粒子のペア(対)だからこそ消滅する現象だからです。
数式は逆にしても成り立ちますので、
0 = (-m) + (+m)
となります。正負両方の大きさがmで同じですからこれは成り立ちますよね。実際の現象ではどうなるかというと、これも式の通り、何もないところから、粒子と反粒子が生まれます。重要なことは、ここでも必ず粒子と反粒子のペアであることで、たとえば電子だけとか、電子と反ミューニュートリノとか、そういった組み合わせは生まれないことです。これも式を見れば当然であることがわかります。そして、「何もないところから」とは言いましたが、それは物質がないという意味であって、やはりエネルギー保存則から、新たに生まれた粒子分のエネルギーは必要です。この現象を「対生成」と呼びます。我々人類が素粒子を生み出す場合もこの方法を使います。そしてより重要なことは、自然界に存在する物質も、全て、こうやって生まれたのです。何もないところから物質が生まれるには、これ以外の方法がないのです。
PROFILE
多田 将 (ただ しょう)
1970年、大阪府生まれ。京都大学理学研究科博士課程修了。理学博士。京都大学化学研究所非常勤講師を経て、現在、高エネルギー加速器研究機構・素粒子原子核研究所、准教授。加速器を用いたニュートリノの研究を行う。著書に『すごい実験 高校生にもわかる素粒子物理の最前線』『すごい宇宙講義』『宇宙のはじまり』『ミリタリーテクノロジーの物理学〈核兵器〉』『ニュートリノ もっとも身近で、もっとも謎の物質』(すべてイースト・プレス)がある。