4月号
水木しげる生誕100周年記念 知られざる 水木しげる|vol.7
子どもに社会を学ばせる教科書にしたい『こどもの国』前編
純真な子どもに社会の裏側を教えるのはどうかと思うが、かと言って絵空事みたいな理想ばかりでは、厳しい現実を生きていけない。
水木サンの「こどもの国」は戦国時代に孤児となった子どもたちが、自ら集まり国を作ったところからはじまる。
少女らが畑で芋を作っていると、ねずみ男扮する「腰巻デザイナー」が来て、桃色の腰巻を売りつけようとする。少女が芋作りに忙しいと断ると、ねずみ男は「あなた美がわからないのネ」と揶揄する。と、少女はこう返す。
「美?それは充分に芋を食べてから感ずることですわ」
文化は衣食足りてこそ価値を持つということだ。芸術至上主義の文化人などには、到底承服しがたい指摘だろう。
そこへ丸顔の「三太」が登場し、絹ネルの腰巻で少女たちを誘惑するねずみ男に、シビアな一言を発する。
「貧乏人にものをほしがらせるのは商人のわるいくせだ」
昨今のテレビCMにぴったりのセリフである。
これがガキ大将の大統領「ニキビ」の怒りを買う。愛人(?)の「お軽」に桃色の腰巻を買ってやろうと思っていたからだ。三太が反論すると、ニキビは三太を殴りつけて黙らせる。この状況を見た書記の「ゴマ」が、「期待される子供像」を作って、「国民を型にはめて便利に使いやすくいたしましては」と提案する。
翌日、ゴマが子どもたちを集めて、「期待される子供像」の制定を持ちかけると、みなが「今更めんどうくさいじゃないか」と反対する。「そういうなよ。政治はむずかしいんだ」とゴマが弁解すると、三太は「なにかをたくらむからむずかしくなるんだよ」と、またもシビアな指摘を飛ばす。しかし、ゴマは泥棒やいじめを未然に防ぐためだとごまかし、協議に持ち込む。
ねずみ男が大統領に「三十八度線川」の向こうにネズミが増えて、こちらの貯蔵芋をねらっていると吹き込むと、ゴマはニキビにおもねりながら、猫を飼って防衛すればと提案する。
三太をはじめとする〝庶民〟は、芋の貯えなどないので、ニキビの〝隠し芋疑惑〟に気づき、「『期待される子供像』で大分自由を失ったやさきじゃねえか」と猫を飼う計画に反対する。すると、ゴマは隠し芋は飢饉に備えた大統領の深い思いやりだとごまかし、猫を飼うことも、こっそり芋を貯えている者は賛成するはずだと主張する。三太が「ネズミにかじられるほどもっているものは」と反論すると、ゴマは「てめえ、共産党のような皮肉をいうが」と、時代を超越したセリフを放ち、芋の蓄財の自由を強弁する。三太が「芋を守るなら芋のありかを公表したらいいじゃないか」と詰め寄ったところで、ニキビが登場し、「おめえ『期待される子供像』に反してるゾ」と、こん棒で殴ろうとする。ところが足を滑らせて転倒し、三太に逆襲され、飛び出してきた子どもたちが、「あッ! クーデターだ」と叫んで、三太は無投票で次期大統領になる。
ニキビとゴマは追放され、ゴマが「土方でもしましょうか」と言うと、ニキビは「一度大統領をやった人間が真面目に勤労なんかできるかい」と、これまた実もフタもないホンネのセリフを返す。
そこへ再びねずみ男が現れ、政権を取りもどしたいなら、「『くさった政治』を行えばわけはないのだ」と入れ知恵をする。
ここまでの流れでわかる通り、この作品は政治と国民生活、法と自由、経済と防衛などを象徴的に取り入れた寓話になっている。猫を飼う計画が「三矢研究」(作品当時に発覚した朝鮮半島有事を想定した自衛隊の極秘机上演習)と名づけられているのも意味深だ。後編ではさらに痛しかゆしの政治寓話が語られる。
久坂部 羊 (くさかべ よう)
1955年大阪府生まれ。小説家・医師。大阪大学医学部卒業。大阪大学医学部付属病院にて外科および麻酔科を研修。その後、大阪府立成人病センターで麻酔科、神戸掖済会病院で一般外科、在外公館で医務官として勤務。同人誌「VIKING」での活動を経て、『廃用身』(2003年)で作家デビュー。