1月号
対談/進化する名門私立中学校 第4回 甲陽学院中学校
気品高く、教養豊か、そして無邪気に
甲陽学院中学校・高等学校 校長 山下 正昭
日能研関西本部 代表 小松原 健裕
名門私立中学校に多くの塾生を合格させている日能研関西代表の小松原健裕さんと関西名門校校長の対談。
第4回目は、小松原さんご自身の出身校でもある甲陽学院中学校・高等学校校長の山下正昭さんにご登場いただきました。
甲子園の地で始まった甲陽学院の歴史
小松原 私は中3の1学期まで旧校舎、2学期から現在のこの校舎に移り、高校は甲陽園にある現校舎に通いました。私にとって甲陽学院は夙川にある学校ですが、歴史は甲子園で始まったのですね。
山下 大正6年(1917)、伊賀駒吉郎氏が甲子園に「私立甲陽中学」を設立しましたが、経営難に陥り辰馬家に援助を申し出ました。当時の辰馬本家十三代当主・辰馬吉左衛門氏が私財を投じ大正9年(1920)、財団法人「辰馬学院甲陽中学校」を立ち上げました。第二次世界大戦後、学制改革によって甲子園の旧制中学を高等学校とし、香櫨園に中学校を新たに開設しました。
小松原 甲子園の高等学校はなぜ、山の上の現在の場所に移転したのですか。
山下 昭和4年(1929)、辰馬吉左衛門氏の財団への寄付によって甲子園には地上3階、地下1階、鉄筋校舎が建造されました。ところが戦後、進駐軍に接収され校舎は荒れてしまいました。どこか移転できないかと探し、最終的に現在の角石町に決まりました。この地は辰馬家の神聖な土地といわれ、手を入れず永久保存するはずだった場所を譲り受けたものです。そういった経緯があり、特別な宗教をもたない甲陽学院ですが、高校の校長室には土地神さまを祀っています。
小松原 通っている当時は特別に感じることもなかったのですが、勉強するには中・高とも静かでいい環境ですね。
山下 特に高校は静かですね。授業中に鶯(うぐいす)の鳴き声が聞こえてきます。小松原さんはご存知ない頃のことですが、43号線と阪神電車に挟まれた甲子園の環境はひどいものでした。排気ガスと授業が中断するほどの騒音の中でやってきましたから、今の中高は本当に素晴らしい環境だと実感します。
中学では厳しく、高校では自主性を尊重
小松原 中学の時は先生が怖くて、私もよく怒られました(笑)。でもそんな先生方も高校へと持ち上がり、高校2年、3年になると、進路のことをはじめ何でも素直に相談できるようになりました。6年一貫教育の良さだと思います。中学は規律を重視し、高校は自由にというのは伝統ですね。
山下 中学では生活態度や勉強のことなど、細々したことまで指導するというのが本校の考え方です。中学で躾は済ませ、高校ではほとんどのことは生徒自身の判断に任せます。中・高が別の場所にあるからできることのひとつで、同じ場所にあると「高校生はいいのに、なんで中学生はダメなんや?」ということになりかねませんからね。ただし、高校で自由にはなりますが、「勉強はしなくてはいけない」、応援歌で「正々堂々甲陽健児」と歌っているように日常的に「正々堂々と卑怯なことはしてはいけない」といつも生徒たちには言っています。
小松原 中学から高校になり、制服がなくなり、学校行事も自分たちで考えてやりなさいと言われ、先生方との関係も変わってきて、「いろいろなことを自分で決めなくてはいけない」という気持ちの変化があったことを覚えています。
山下 甲陽学院中学校は勉強面で「面倒見がいい」という世間の評判があるようですが、小松原さんから見てどうですか。
小松原 たしかに、最近は「面倒見がいい」という保護者の方からの評価はあり、高校でも宿題をもっと出してほしい、成績が悪くなったらもっと補習をやってほしいなどという希望はあるようです。昔から高校生になったからといって放置されていたわけではなく、自主性に任せる部分が多くなるだけだと思うのですが…。
山下 最近は「面倒見がいい」という評価を受け、高校に上がるとき手を放しにくくなってきているように感じます。補習をする以前に、授業で全員に理解させるのが教師の本分です。中学で基本的なことを身に付け、高校で自主性を尊重するという本校の姿勢は守っていくべきだと私は思っています。
気品高く、教養豊か
小松原 甲陽学院では音楽、体育、美術なども一生懸命に授業をして、生徒のレベルが高いのも大きな特徴だと思います。世間のイメージとは違い、決して勉強ばっかりやっているわけではないですね。
山下 本校教員の3割ほどが卒業生ですが、その先生方を見ていると自分の教科はもちろんですが、それ以外のことでもいろいろ詳しいと感心します。私など、自分の教科で精一杯ですので無理ですが…。中・高時代の過ごし方の違いでしょうね。本校のカリキュラムはごくごく普通で、どの教科も1週間に6時間を超えて授業はせず、数学や英語などに偏った授業もしません。大学入試に必要ないから受けないということも認めていません。「気品高く、教養豊か」という教育方針に沿って、体育や美術、音楽、情報、家庭科などもきちんと授業をします。家庭科の調理実習で生徒に「おもしろいの?」と聞いてみると「楽しい」と。「なぜ?」と聞くと、「化学の実験は食べられないけれど、調理実習は食べられる」と(笑)。生徒にとっては化学も家庭科も大差ないんですね。
小松原 私は文系でしたが、理系科目の授業も手を抜いてはいけなかった。でも発見がいろいろあって楽しかったですね。色々な学校の授業を見せていただきますが、甲陽の場合はそれぞれの教科の授業が工夫されていると思います。近年、アクティブラーニングを取り入れている学校もたくさんありますが、私が通っていた当時から、そういった形態の授業がありました。
「賢見思斉」。生徒同士、先生同士、生徒と先生が切磋琢磨
小松原 いよいよ今年は創立100周年。立派な講堂ができてきていますね。前の講堂も趣があって良かったのですが、老朽化がひどかったのですか。
山下 昭和16年(1941)竣工の講堂で、戦災にも大震災にももちこたえてきた頑丈な建物でまだ十分に使えたのですが、高校での募集がなくなり中学の生徒数が増え、何より入学式で保護者の数が増えたことで手狭になり100周年を迎えるにあたって建て替えに踏み切りました。3月完成予定です。古くなってきた芸術棟の建て替えができればハード面の整備は完了です。次に考えるのはソフト面です。学校でオリジナルテキストを作って統一した授業をすれば楽だと思うこともあります。しかし、それぞれ先生方に任せるのが最善の策だと思っています。「賢見思斉(けんけんしせい)」。これは、高校の玄関に掲げている論語の言葉で「自分より徳のある人を見習いなさい」という意味の通り、生徒同士、教師同士、生徒と教師、切磋琢磨することが大切だということです。
小松原 神戸にいると甲陽OBも多く、会社経営者やお医者さん、弁護士さんなど、ひとつのことに一生懸命取り組んでいる方にたくさんお会いします。中高で言われている「甲陽生は無邪気」、そのままだなと改めて感じます。子どもを甲陽中学に進学させたいという保護者も「6年間ですくすく育ってほしい」という思いをもった方が多いです。
山下 6年間ずっと一緒で、生徒同士の付き合いは深く、卒業後も一生の付き合いができるようですね。
小松原 「甲陽出身」と言うと、「何回生や?」「甲関戦(関学との定期戦)勝ったんか?」「何先生に教わった?」など共通の話題で盛り上がり、面倒を見ていただいたりしてありがたいなと思っています。卒業生としてはもちろん、毎年約60人の子どもたちを進学させている立場としても、ガツガツしない「紳士の学校」というイメージはずっと守り続けてほしいと思っています。今後ともよろしくお願いいたします。
山下 これからも外から見える問題点や意見などをぜひ聞かせてください。
山下 正昭(やました まさあき)
甲陽学院中学校・高等学校 校長
1947年大阪生まれ。尼崎北高校を卒業後愛媛大学文理学部理学科数学物理学課程入学。専門へあがるときに、数学と物理で迷ったものの数学を専攻。1970年4月から兵庫県立宝塚高校で数学の教員として教壇に立つ。3年後、甲陽学院へ転職。1999年4月から教頭。2009年4月から中・高の校長。今年度末で甲陽在職44年
小松原 健裕(こまつばら たけひろ)
株式会社 日能研関西 代表
甲陽学院高校、慶応義塾大学と中高大を私学で学ぶ。同大学法学部卒業後、日本IBMに入社。主に金融機関システムの提案に携わる。事業承継のため日能研関西に入社。授業担当科目は算数。京都本部長、副代表を経て、代表に就任。日能研関西本部業務全般に加え、日能研グループとの連携、私学教育の振興にも携わる