2月号
⊘ 物語が始まる ⊘THE STORY BEGINS – vol.16 野原 位さん
新作の小説や映画に新譜…。これら創作物が、漫然とこの世に生まれることはない。いずれも創作者たちが大切に温め蓄えてきたアイデアや知識を駆使し、紡ぎ出された想像力の結晶だ。「新たな物語が始まる瞬間を見てみたい」。そんな好奇心の赴くままに創作秘話を聞きにゆこう。第16回は映画監督の野原位(のはら・ただし)さん。
撮りながら磨き上げた感性…神戸から挑む世界への挑戦
神戸でつかんだチャンス
「実は、4分の1ほど撮影した後。これは違うかな? このまま撮り続けても納得のいく作品にはならないかもしれない…。そう悩み、考え直し、もう一度始めから脚本を書き直すことにしたんです」
〝いい作品にするためなら〟妥協は決して許さない。
改めて脚本を練り直し、最初から撮り直し、完成させた映画「三度目の、正直」が1月に封切られ、全国で順次公開中だ。
9年前から神戸に創作の拠点を構え、映画製作に携わり、今作が長編劇場映画の監督デビュー作だ。
家族との関係、子育て、仕事…。それぞれの人生に悩みを抱える男女の群像劇が、神戸を舞台に展開する。
三宮などの市街地や須磨海岸など神戸市一帯でロケを敢行した。
「神戸での撮影にはこだわりました。キャストもスタッフも神戸で知り合った人が多く、ロケでは、神戸フィルムオフィスをはじめ、地元の人たちが大勢、協力してくれ、感謝しています」
栃木県で生まれ、高校まで過ごす。明治大学理工学部へ進学するが、「好きな映画作りに挑戦してみたい」と同大卒業後、理系から方向転換し、東京藝術大学大学院へ進み、映画製作の手法を学んだ。
2009年、大学院生時代に、オムニバスの劇映画「ラッシュライフ」の中の一編を撮り監督デビューを果した。
人気ミステリー作家、伊坂幸太郎の原作小説を基に、人気女優、寺島しのぶ主演で、メガホンを執った。
大学院生だけで映画撮影から配給までを手掛ける―という試みは当時、話題を集めた。
「手ごたえはあり、すぐに次のチャンスが巡って来るかな、と思っていましたが…。映画界の現実は厳しかったですね」と苦笑した。
大学院を出た後、東京の映像、CGなどの製作会社に勤め、助監督などとして修業を積み、9年前、神戸へ移り住んだ。
「大学院時代、一緒に映画製作を学んでいた一年先輩に、『神戸で映画を撮るから、一緒に来ないか』と誘われ、東京の会社を辞め、神戸へ引っ越すことにしたんです」
この先輩の名は、映画監督の濱口竜介。昨年、カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞、今年の米ゴールデングローブ賞の非英語映画賞(旧外国語映画賞)を受賞した「ドライブ・マイ・カー」の監督である。
2013年5月から、濱口監督、脚本家の高橋知由さんと3人で、神戸市長田区にある古い民家を借りて、合宿生活のように映画製作に没頭。ともに夢を追ってきた。
「大学院の頃から助監督をしていたので、濱口監督からは大きな影響を受けています。その後、濱口監督は東京へ拠点を移しましたが、私はそのまま神戸に残り、今は市内で暮らしています。まだまだ、神戸で撮りたい作品がありますからね」
濱口監督の出世作となった映画「ハッピーアワー」(2015年)では濱口、高橋と3人共同で脚本を執筆した。5時間17分という超長編映画で、その舞台は神戸。
約8カ月間かけて神戸各地で撮影された渾身作は、ロカルノ国際映画祭で最優秀女優賞、脚本部門の特別賞を獲得するなど国内外で高く評価された。
「何度も脚本を書き直すなど、この『ハッピーアワー』で培った経験が、新作『三度目の、正直』の中に大きく生かされたと思います」と語る。
長編監督としての念願のデビューは、助監督や脚本家として経験を積む中で、ようやくつかんだチャンスだった。しかも、人気小説や漫画などを原作にした映画が増える中、近年、困難とされるオリジナル脚本での映画化にこぎつけたのだ。
「主演女優の川村りらさんをはじめ、キャスト、スタッフも『ハッピーアワー』を一緒に撮ったメンバーたち。小規模ですが、息の合ったチームに恵まれ、そして神戸という恵まれた環境で撮ることができました」
「ハッピーアワー」では撮影中でも脚本を何度も書き直していったというが、新作映画ではどうだったのか?
「女性の視点が繊細に脚本で描かれている―。そう、評価してもらえるのは、共同執筆した主演女優でもある脚本家、川村さんのおかげだと思います。撮影中は、役者の人たちからも意見を聞きながら、それを生かし、二人で何度も脚本を練り直していきましたから」
師匠と先輩
「三度目の、正直」は、昨年、東京で開催された東京国際映画祭のコンペ部門にノミネートされ、観客の前で初お披露目された。
「先輩の濱口監督、そして師匠の黒沢清監督が会場に見に来てくれたんですよ」とうれしそうに語った。
大学院の一学年上にいたのが濱口監督。そして先生は黒沢監督だった。
2020年に公開された黒沢監督の映画「スパイの妻」では、師匠の黒沢監督と先輩の濱口監督と3人で共同執筆している。
「神戸を舞台にした高画質8Kのドラマを作りたいが、何かいい企画はないか?NHKのスタッフとそんな企画を進める中で、濱口監督とプロットを練ってから、神戸出身でもある師匠の黒沢監督に頼み、3人で脚本を書くことにしたのが、この『スパイの妻』だったんです」
第二次世界大戦を控えた1940年の神戸が舞台。神戸市で貿易会社を営む夫を高橋一生、その妻を蒼井優が演じたシリアスなヒューマンドラマ。ベネチア国際映画祭のコンペ部門に選ばれ、銀獅子賞(最優秀監督賞)の栄誉に輝いた。
弟子として師匠の黒沢清監督の、また後輩として先輩の濱口監督の裏方として創作の現場を支え、師と先輩の国際的な活躍に貢献してきた。
「『スパイの妻』では、第二次世界大戦当時の街並みなどが出てきますので、日常生活の中で新開地を歩いたり、古い建築物などを見てきたおかげで、結果として、今回の新作の撮影に生かすことができました」
神戸から世界へ
「三度目の、正直」は、新型コロナウイルスの影響が日本中に広がる直前に撮影を終え、コロナ禍の真っ只中に編集を行ったという。
「コロナによって、もし、人々の世界観が変わり、この映画で描いたテーマが通じなくなってしまったらどうしようか…。編集中は、そんな不安があったのですが、現在のコロナ禍だからこそ、より切実に多くの人々の胸に迫るテーマになったのではないか。公開を迎え、改めて、今はそう思っています」
次の新作の構想を聞くと、「いつかコメディーを撮ってみたいですね」と即答した。
「これまでのようなシリアス路線からの転向か?」と問うと、「シリアスとコメディーは実は真逆ではない。シリアスの先に見える、ふとした笑いなど…。そんな人間ドラマをコメディーで描いてみたいんです」
師匠と先輩の後に続け…。神戸から世界へ挑む覚悟と準備は整った。
(戸津井康之)
・2022年1月下旬
シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
・元町映画館にて3月12日より上映
©2021 NEOPA Inc.
野原 位(のはら ただし)
1983年8月9日、栃木県生まれ。2009年東京藝術大学大学院映像研究科監督領域を修了。修了作品は『Elephant Love』(09)。共同脚本・プロデューサーの『ハッピーアワー』(15╱濱口竜介監督)はロカルノ国際映画祭脚本スペシャルメンションおよびアジア太平洋映画賞脚本賞を受賞。また共同脚本として黒沢清監督の『スパイの妻』(20)に参加。劇場デビュー作『三度目の、正直』が1/22(土)から全国公開される。