9月号
ノースウッズに魅せられて Vol.14
森に耳をすます
北国も秋の盛りを迎えた9月下旬。夜明け前の森は、風もなく、深い静寂に包まれていた。冷え込みが厳しく、きっと霜が降りることだろう。
空が白み始める頃、少し開けた場所に立ち、カメラを三脚にセットする。そして、白樺の樹皮を丸めたメガホンを口に当て、低く、そして長く、唸るような声を周囲に響かせた。どこかに潜む、ムースの耳に届くことを祈りながら。
ムースとはこの地球上に現生する世界最大の鹿で、地上から肩の高さまでが2メートルを超える。体重は最大で800キロにもなり、その肉は昔から先住民たちにとって貴重なタンパク源となってきた。
警戒心が強く、あまり人前に姿を見せないが、秋の繁殖期にだけ通用する伝統的な狩猟法がある。それが、メスの発情する声を真似て、オスを呼び寄せるというものだ。
見通しの悪い森の中で、ムースは視覚に頼らないコミュニケーションを駆使して、子孫を残す相手を探している。その習性を逆手にとろうというわけだ。
メスの声真似を数回ほど森に響かせて、しばらく耳をすます。すると遠くで、短く喉を鳴らすオスの太い声が聞こえた。メスの声に反応して興奮している合図だ。きっとこちらに向かってくるに違いない。
さらに待ち続けていると、今度はずっと近くで枝を踏む音が聞こえた。喉を鳴らす声が激しさを増す。息を潜めて声のする方を見つめていた次の瞬間、ついに茂みの向こうから、朝日に照らされて輝く巨大な角が躍り出た。
写真家 大竹英洋 (神戸市在住)
北米の湖水地方「ノースウッズ」をフィールドに、人と自然とのつながりを撮影。主な写真絵本に『ノースウッズの森で』(福音館書店)。『そして、ぼくは旅に出た。』(あすなろ書房)で梅棹忠夫山と探検文学賞受賞。2020年2月、これまでの撮影20年の集大成となる写真集『ノースウッズ 生命を与える大地』(クレヴィス)を刊行した。