7月号
草葉達也の神戸物語
ゲスト: 高田恵太郎さん
(株式会社アイグリッツ代表取締役 エグゼクティブプロデューサー)
今、若い女の子たちの間でキーワードとなっているのが「神コレ(こうこれ)」。
ファッションショーと言えば見るだけのものというイメージがありますが「神戸コレクション」は、ショーで見た服がその場で買えるという画期的なファッションショーで、神戸から東京、そして海外でも開催されるほど大人気のイベントになっています。その仕掛け人が高田恵太郎さん。神戸のオフィスを訪ねて来ました。
「高田さん、どちらでお生まれですか?」「私は大阪生まれです。でもすぐ東京に行って、小学校からまた大阪に戻ってきました。小中高は大阪ですね」「大学は神戸とか」「甲南大学です」「若い頃の思い出となると、やはり大阪ですか?」「そうですね~ 中学までは公立なので家の近所のことになりますが、高校からは男子校でファッションとか遊びとか血気盛んな時ですから、色々と影響を受けまして、それぐらいから神戸に遊びに来るようになりましたね」「それはファッション的に神戸がいいと」「ええ、第一期のファッションブームが来て、遊びが好きなお洒落な子たちが着ている服がVANヂャケットでした」「アイビーですね。私はちょっと下の世代ですが、VANには憧れましたね~ でもスタジャンとか高くて・・・」「VAN=アメリカじゃないですか。我々の世代って凄くアメリカ文化に憧れた世代ですから、VANというファッションに染まっていきました。でも大阪でもVANの服は買えましたから、それ以外のブルックスブラザースみたいなブランドが売ってなくて、関西で唯一売っていたのが神戸の高架下だったんですよ」「そうでしたか。それが神戸との出会いですね」「そうですね。友達と高架下に買い物に来たり、あと高校時代にワンダーフォーゲル部に入っていて」「山岳部ですよね」「はい、それで神戸の六甲山によくトレーニングとかで行きました。ですから高架下と六甲山が若い頃の思い出の場所ですね」「高架下もだいぶん変わりましたね」「私たちの時は元町よりも西でした。まだ三越もありましたし」「高架下といえば、私たちも元町から西で怪しい店が多かったですよね」「多かったです(笑)薄暗くて歩いている人も外国人が多くて。でもその中にインポートを扱う店がちょこちょこあって」「なんか怖かったけど、珍しいものがあって楽しかったですよね」「そうですね。それでね、当時はまだ日本が生産地の役割を持っていて、製造メーカーがたくさんありましてね。神戸は作る所ではなかったと思いますが、荷物が神戸港に集まるんですよ。アメリカに輸出するものとかですね。そこから出た傷モノ、俗に言うB級品を売っていましたね」「そうでしたね。箱に無造作に入れられて、よく私も色々と探しました」「ボンドという店に、アメリカンテイストのものが売っていてよく行きました」「そういう下地があって、大学は神戸を選ばれたわけですね?」「そうです。その頃によく行ったのが餃子の『赤萬』です。五人で行って、六十人前ぐらい頼みました(笑) あと『赤ひょうたん』とか」「あのサラダが山盛りの店ですよね?」「そうです。成長期にはいい店でしたね。野菜食べなかったですが、あそこなら食べてました(笑)」「神戸の魅力はどこにありますか?」「大阪は大阪の文化がありますが、神戸にはやはり大阪と違う異質な部分があって、ひとつはインターナショナルな空気があると思います。今から四十年前は本当に外国の人も多かったですし、それと外人さんを対象にした店も多かったですから、そういう所に行くのが好きでした。あの雰囲気は大阪には無かったです。異文化の香りが神戸にはありますね。それと海と山があって、田舎要素と都会要素がある。ちょっとお洒落な田舎と都会、それが神戸の魅力ですね」
ファッションが好きで憧れであったVANヂャケットに入社。さすがにお洒落で、私もあと十年後には高田さんみたいなファッションリーダーになりたいですね。無理かなぁ~(笑)
高田恵太郎(たかだ けいたろう)
1950年 大阪生まれ 大学卒業後、憧れのVANヂャケット入社。その後、企画会社、スポーツメーカーを経て、神戸ファッションマートプロジェクトに参加。退社後に「神戸コレクション」を軌道に乗せ、「神戸コレクション」の父と呼ばれている。
くさば たつや
神戸生まれ。作家、エッセイスト。
日本ペンクラブ会員
日本演劇学会会員
神戸芸術文化会議会員
大阪大学文学部研究科