4月号
石阪春生さんを偲ぶ ―石阪画伯とバーボンクラブ―
生田神社 名誉宮司 加藤 隆久
1975年頃、「六甲山の緑と茅渟の海に囲まれたファンタスティックな街・神戸に芸術文化サロンがぜひ必要ではないか」ということが、石阪春生を中心として地元の若手の文化人たちから起こってきました。いろいろ議論がなされ、違った仕事、異なった世界の人たちが何となく話のできる「一業種に一人」を基本に、中世の円卓会議に見られる10人ほどの若き藝術文化関係者から始めようということになりました。会議には酒がつきものであるので「バーボンウィスキーを飲みながら文化について語ろう」ということになり、会の名前も「バーボンクラブ」になりました。メンバーは、石阪春生、筒井康隆、松本幸三、新谷琇紀、中西省伍、新井満、若柳吉金吾、小曽根実、宮田達夫、西正興、榊晴夫、竹内広光と私の13人で始まりました。会の主旨について、最年長の代表・石阪春生が次のように語りました。
「バーボンクラブは月に一度、会場を持ち回りで開きます。別に特定の目的を決めるわけでなく、異人館や神戸の文化などをその時々に話し合っていきます。日本人は何となく寄り合うということに欠けていると思います。結論がないと承知できないところがあるが、この会はみんな違う世界で活躍している者が集まっているところに意義がある。まあ現代忘れられている〈村人の集い〉といったところでしょうか」と。そのころコマーシャルソング「ワインカラーのときめき」でヒットを飛ばしていた新井満が「バーボンクラブの歌」を作詞作曲しました。その歌詞は二番までありますが、一番は「バーボンクラブのBはビューティフルのB・バーボンクラブのBはボーイズのB・ビューティフルボーイズクラブ・・・バーボンクラブ」というものでした。そして中西省伍のデザインによる制服まで作られました。時がたち1997年、新神戸オリエンタル劇場で筒井康隆の脚本演出で、タイトルは「星降る夜の神戸」。一日のみの二回公演でバーボンクラブのメンバー全員が出演しました。宮田達夫が司会を行い、筒井康隆による自らの小説の朗読、私の祝詞、松本幸三のシャンソン、中西省伍のファッションショー、小曽根実の新曲の演奏、若柳吉金吾の踊りと、石阪画伯の構成は充実した内容で幕を閉じました。しかし、今、バーボンクラブも石阪画伯が亡くなり健全なのは六人という淋しさとなりました。むすびに、石阪春生さんへの偲び歌を茲に記しておきます。
○モダン都市神戸代表画家たりし
石阪春生の面影しのぶ
○石阪の描く女のいる風景
壁に飾りて眺めて飽きず
○神戸っ子雑誌表紙に掲載の
神秘な構図思い出しており
○バーボンのクラブの集いに
石阪が唄うテノール歌声のよき
○バーボンの友も少なくなりにけり
琇紀・ミー坊・幸三・画伯と
○ああ寂し いといと悲し
バーボンの友の御霊の平安祈る