6月号
[海船港(ウミ フネ ミナト)]ライン河クルーズ⑥ 古城渓谷クルーズ(その2)
文・写真 上川庄二郎
【ローレライからコブレンツまで】
先月号では、ライン河古城渓谷クルーズの前半で主だったものを紹介してきた。後半は、ローレライからモーゼル河の分岐点であるコブレンツまでを見てゆこう。
ラインフェルス城 — 1250年、ライン河通行税を徴収する目的で、河面から115mの高台に建てられた城。最も堅固な城といわれたが、フランス軍に破壊された。現在は、修復されて郷土博物館になっている。
ネコ城 — ネコ城はラインフェルス城の補強のために建てられたが、この城もフランス軍に破壊された。再建されたものの当時の面影はないという。
ネズミ城 — 正式名は、トゥルンブルク城だが、ネコ城の城主がネズミ城と揶揄して呼んだことが由来とか。この城もナポレオンによって破壊されたが、20世紀に入って復元された。
敵対する兄弟城 — 11世紀と13世紀に建てられたリーベンシュタイン城とシュテンベルク城のことを敵対する兄弟城と呼んでいる。この二つの城の間に防御のために隔壁が造られたことが、あたかも両城が敵対しているかのように見えたために、不和の壁と呼ばれたという。
シュトルツェンフェルス城 — 河向うのラーンエック城に呼応して13世紀に関税徴収のために造られた。ここもフランス軍に破壊されたが、19世紀に再建された。後期ロマン主義風建造物の代表格。
マルクスブルク城 — ライン河の上下流が見渡せる高さ150mの高台に13世紀に建てられた。攻略が困難なこともあって、ライン河城砦の中で唯一中世騎士時代の容姿を留める城だといわれる。
ラーンエック城 — マインツ選帝候国最北端の要塞として1240年に建てられた。これもフランス軍によって破壊されたが、19世紀中頃に再建された。城内には美しい礼拝堂をはじめ数々の絵画や調度品が残されている。
古城アルテ・ブルク — ロマンチックな建物は、13世紀以降に建てられたといわれる。現在は、市立図書館として使われている。
要塞エーレンブライト — ライン河とモーゼル河の合流点を見下ろす118mの高台に、戦略上重要な意義を持っていた要塞。ここにエーレンブライトが君臨していた。17世紀から18世紀に掛けて計5回のフランス軍による攻略を受け、流石の堅城も持久戦で糧食を絶たれ落城した。現在は修復されて国立公文書保存所等として利用されている。
ドイチェス・エック — ライン河とモーゼル河の合流点に位置するコブレンツは、ドイチェス・エック(ドイツの角)と呼ばれ、この地域の政治経済の中心地であったために、フランスとの領地争いの火花を散らした。プロイセン領を経て、現在はドイツ領である。合流点には、ドイツ統一の記念碑であるヴィルヘルム一世の騎馬像が鎮座し、両河川を見下ろしている。
以上のような古城群の故事来歴を見聞するにつけ、瀬戸内海各地で水軍を交えて繰り広げられた源平の合戦や数々のドラマがあり、秀吉の三木城兵糧作戦などが彷彿とする。このように見てくると、瀬戸内海はライン河に勝るとも劣らぬ歴史遺産に溢れている。これらをどのように国内にそして海外にアピールしてゆくのか、すべてはそこにかかっている。
かみかわ しょうじろう
1935年生まれ。
神戸大学卒。神戸市に入り、消防局長を最後に定年退職。その後、関西学院大学、大阪産業大学非常勤講師を経て、現在、フリーライター。