2月号
「神戸で落語を楽しむ」シリーズ 其の九 躍動感で自分らしい落語を
落語家 笑福亭 銀瓶 さん
地元の高座は気合いが入る
─ご出身は神戸のどちらですか。
銀瓶 灘の大石です。病院でなく家で生まれたし、根っからの神戸っ子ですよ。
─地元の神戸に常設の寄席ができましたが。
銀瓶 おそらく新開地だったと思いますが、幼い頃に長嶋さんの映画『燃える男 長島茂雄 栄光の背番号3』とモスラの二本立てを観たり、あとは家族や親戚とご飯を食べに行ったりしたくらいで、自分たちだけでは足を踏み入れられない大人の世界というイメージでした。だけど親に連れられて行くとワクワクしたものです。そんな新開地に喜楽館という落語のやりやすい寄席ができたというのは本当に嬉しいです。神戸で落語会に出るときは毎回気持ちが高ぶりますが、喜楽館でも気合いが入ります。
─落語がやりやすいのはなぜですか。
銀瓶 まず、お客様との距離が近いんです。たぶん舞台の高さがちょうど良いんじゃないかと思います。客席の勾配を上手に設計してあるから後ろのお客様もちゃんと見えますしね。同じくらいのキャパでも、大阪の繁昌亭より舞台から観た奥行きがほんのちょっと近く感じますが、そのちょっとが大きいのですよ。
─お客様の雰囲気も繁昌亭と違いますか。
銀瓶 昔から神戸のお客様はきちんとやると笑ってくれますが、何でもかんでも笑ってくれません。個々のお客様が「落語を楽しもう」と、姿勢が前のめりで、お客様が少なめでも自分の芸をぶつけてみようという気持ちにさせてくれますよね。
─喜楽館の建設準備委員として計画に関わりましたが。
銀瓶 どちらかというと僕は慎重に進めていこうと考えていたんです。上方落語協会会員全員に建設の意思を問う投票をおこなうなど、勢いに任せるのではなくみんなの意見をとりまとめ、心をひとつにして準備を進めることができたと思います。
え!師匠って噺家だったの?
─なぜ噺家になったのですか。
銀瓶 父の勧めで明石高専に進学したのですが、エンジニアには向いていないし、卒業したら何しようか迷っていたんです。そんなある日、人前に出て何か表現する仕事、人を楽しませるようなことをやってみようかと思ったんですね。小学校の頃からクラスの人気者で、友達を笑わせるのが好きでしたし。それでダメ元で誰かの弟子になろうと思い、フッと頭に浮かんだのが師匠(笑福亭鶴瓶)でした。
卒業前の1987年の春にお願いに行き、最初やめときと言われて。それでもまたお願いして、卒業後ならという条件で許しを得て88年に入門したんです。でもその当時は落語をするつもりはなかったんですよ。僕は師匠をタレントだと思っていましたし、世間のみなさまもそういうイメージだったと思うんです。いまでこそ師匠はたくさん落語会に出ていますけれど、当時は数えるほどでしたし。
─それがなぜ落語を。
銀瓶 入門してすぐ、師匠の部屋を掃除していたら落語に関する本やレコードなどあらゆる物があって、落語しない人の部屋になんで?とビックリして。そしたら師匠が、レコード聴いたらええよと。もちろんそれまでにも落語を聴いたことはありましたが、師匠の家でどんどん聴いていくうちに面白いなぁとハマっていったんです。
弟子になってはじめてわかったのですが、自分たちがタレントだと思っていた師匠ですけれど、落語をやらなくても芸の根底に落語があるんだと。だから「笑福亭」なんだと、当たり前のことに気がついて。なので自分も落語をきちんと通過しないといけないなと思ったんです。と言うより、面白くなってきて。そのすぐ後「お茶子*するか?」と師匠に言われ、もちろん「いいえ」とは言えないので「はい」と返事したら師匠が「これやることは落語の世界に足を踏み入れることやぞ!わかってんのか?」って。
それがすごく大きなできごとで、楽屋でたくさんの先輩に出会い、先輩の芸を勉強させてもらうことになりました。当時の先輩方は私服はダサくても、着物に着替えて出囃子に乗ってシュッと高座へ上がっていって、お客さんを笑わせる。それが格好良くて、「自分もやりたい」と思ったんです。
─師匠からどんな稽古を受けましたか。
銀瓶 まだ噺家になるという決心がついていない頃、師匠が「明日稽古するぞ」と。僕は思わず「何をですか?」って返したら「落語やがな!」って、何か変な感じでした。同じフレーズを3回聴いてその通りにやるんですけれど、「お前、落語やってたんか?」って。教えてもらったことを覚えて、師匠の前でやってオッケーもらうと嬉しくて。はじめて覚えたネタは「大安売り」だったんですが、修行中なのに前座で出してもらってまた嬉しい。初高座は全然ウケなかったんですけれど、ちゃんと覚えたことを止まらずに言えてまた嬉しくて。
─師匠の教えで印象に残っていることはありますか。
銀瓶 「普段が大事」ということです。師匠はあれだけ忙しいのに、その陰で普段から多大な努力をしているんです。
落語の普遍性は外国でも
─銀瓶さんは「演じる」部分に迫力を感じますね。
銀瓶 躍動感を大切にしていますから。「そんなアホな」っていう嘘の部分でも、登場人物のやっていることは本当なんですね。だからそこに躍動感があるとリアリズムが生まれ、より伝わるんです。そのためには僕自身に躍動感がないといけないと考えています。そう思うようになったのは、お芝居に出させてもらって自分の演じ方が弱いと感じさせられたことが大きかったですね。またアレンジでも、奇をてらわず自然に、自分とお客様とが一緒に楽しめる演出を大切にしています。
─韓国語の落語にも挑戦されていますが、難しくないですか。
銀瓶 13年ほどやっていますが、もちろん韓国語を話せないとできないのでそこは難しいです。でも、感情の込め方は同じ。しかも韓国語は日本語と文法が似ているので、日本語で区切るところと同じところで区切ればいいし、間が一緒だから感情の乗せ方も同じ。韓国人も日本人と笑いのツボは一緒なので、演じるという意味においてはそう難しくはありません。喜怒哀楽を伝え、それにお客様が共感して笑いや涙になるので、言葉遊びの噺以外は世界共通じゃないでしょうか。それだけ落語は普遍的で、すごい芸なのだなと韓国語落語を通じて感じました。
─今後はどのような活動を。
銀瓶 去年で芸歴30年を迎え、ようやく噺家としての体力がついたと思います。どんどん新しい噺を手がけて、自分の落語を拡げていきたいですよね。躍動感を持って。
─最後に、喜楽館のPRを。
銀瓶 落語を聴きやすい素晴らしい劇場です。生の落語を聴いたことない人も多いと思いますので、ぜひ一度ご来場いただきたいですね。すでにお越しいただいている方は、次回はお誘い合わせの上、どなたかもう1人お連れください!
*お茶子=寄席で次の落語家が登場する前に座布団を返したり名ビラをめくったりする準備担当者。
神戸新開地・喜楽館
(新開地まちづくりNPO)
TEL.078-576-1218
新開地駅下車徒歩約2分
(新開地商店街本通りアーケード)