8月号
芦屋山手のフロントライン「東山町」その 二
守り続けてきた芦屋独自の文化と豊かな住環境
芦屋神社宮司
山西 康司 さん
全国でも有数の邸宅街として知られる「芦屋」。
海沿いから山にかけて立派なお屋敷が続き、
独自の文化を育んできた芦屋は、そこに住む人々が主役となって、
自分たちの住環境や文化を守り、育ててきたという伝統があった。
自然を生かした緑あふれる邸宅街
―芦屋神社の起源について教えてください。境内には古墳が残っているそうですね。
芦屋神社の創建は定かではありませんが、六甲山頂近くに、芦屋神社の神様の磐座があります。磐座の祭祀となりますと、少なくとも古墳時代後期から飛鳥時代にはご神体として崇められていたと考えられます。
芦屋神社の境内にも、横穴式の石室古墳が残っていますが、芦屋の山沿いには標高100~200メートルの高地に古墳が点在しており、古代からこの辺りには集落があったことがわかります。「高地性集落」は、治水の関係で山の上の方から集落ができたことに由来します。芦屋の中興の祖といえば、『万葉集』にもその名が登場する猿丸太夫の子孫である猿丸家です。このあたり一帯の庄屋であった猿丸家は、江戸時代後期に水利権を整えるために奥池に人工の池を造り、そのため農業が安定することにつながりました。
芦屋はそれほど大きな街ではないのですが、由緒のある神社やお寺が多く見られます。六甲山は、奈良の三輪山のように、その山自体がご神体として信仰を集めていたともいわれますから、そういったことも関係するのかもしれません。
―芦屋が邸宅街として人気を集めた背景には、どのような歴史があるのでしょうか。
大正時代に入り、大阪船場の商人たちが美しい砂浜が広がる芦屋の海辺に目をつけ、辺りをプロヴァンスになぞらえて平田町周辺から邸宅を造りはじめましたが、その地域は徐々に山の方へと広がっていきました。山の手エリアは元々里山であり、しっかりした岩盤があります。建物が建てやすい地盤の良い土地でしたので、その里山を切り拓いてお屋敷街にしたのです。そのため、里山の緑を活かした邸宅が多いのも特長です。京都の洛西、関東でいうと軽井沢や葉山といった邸宅街、別荘街を見ましても、自然を乱さず住まいが造られています。
芦屋神社があります東芦屋や、東山町も元々あった里山などの地形に沿って開発されていますので、利便性を追求した現代的な区画整備ではなく、道幅がせまいなど不便な点もありますが、その分、静寂があり閑静な雰囲気が感じられますね。
―邸宅地の中に、美しい東山公園があるのも特徴的ですね。
地域の皆さんが力を合わせて手入れされているのも、元々あった自然を大切にしたいという地域の思いが受け継がれているからでしょう。ここに住む方々は、住環境に関してしっかりした考えをもっています。住まいの環境が良ければ良い仕事ができる、お子さんの情操教育にもつながる、そんなふうに、生活の中心である「住まい」に対しての意識が高いのでしょう。
棲み分けができている街、東山町
―芦屋には、価値のあるものを後世に伝えようという文化が育っていますよね。
そうですね、パトロニズムと申しますか、芦屋には美術品などの個人の収集家が多くいらっしゃいますし、邸宅の主人と作家との深い交流を感じさせる、価値ある古い物が遺されています。芦屋は「芦屋文化」と「打出文化」に文化圏が分かれるといいますが、そのエリアの中でそこに住まう人々がサロンを作って音楽会やホームパーティーを開き、他の地にはないサロン文化が発展しました。人を育てる文化が昔からあったのでしょう。
―住まい文化の継承もそのひとつですね。
芦屋市では、今年の7月に看板規制の条例を定めました。ただやはり“芦屋らしさ”というか、看板のディテール等にこだわったり、街の調和に配慮をするのが芦屋ですので、街のもっている魅力をどう生かしていけるかということですね。これも、住む人が住む街を守ろう、それを次世代に継承していこうというしっかりとした意識をもっている結果なのです。
それもエリアごとの棲み分けということに関わってくるかと思います。住まいの環境を守りたいという方がいる一方で、生活を支えるお店とをどう折り合いをつけていくのかが課題になりますが、東山町では街としての棲み分けがうまくできていると感じます。東山町周辺には、道路沿いに上質で人気のお店が違和感なく建ち並んでいます。「ここでお店を出したい」という方も結構おられます。東山町は、山の手エリアの最前列ですので、JR芦屋駅エリアにも近いという利便性のよさも人気のひとつなのではないでしょうか。
散歩をすることが楽しみな街並み
―芦屋神社も緑豊かな神社です。現役時代の長嶋茂雄さんが関西遠征中に毎日散歩をされたことでも知られています。また、地域の方の信仰を集めておられますね。
長嶋さんは、選手や監督の時代からよくいらしてくださったようです。巨人軍の定宿が芦屋にありましたので、毎朝ランニングしてここまで来られたとか。監督になってからも必勝祈願に来られましたし、他球団の野球選手の方や奥様などが現在もよく参拝に来られますよ。
神社周辺の邸宅の中には、ミカンや柿、ツツジなど、元々この地の里山にあった樹木をそのままお庭に残しているお宅をよく見かけます。これは庭園の景観に配慮しているだけでなく、隣近所の邸宅に対して、庭木などで視界を遮ることにも配慮しています。自然な気配りという点も芦屋の邸宅文化のひとつではないかと考えています。お庭をきれいに手入れされ、花々を美しく咲かせているお家も多いですから、私も毎日、付近を散歩するのが楽しみなんですよ。
山西 康司 さん
芦屋神社宮司