12月号
音楽のあるまち♬14 好奇心を原動力に、ジャンルを超えてマルチに活躍
ピアニスト・キーボディスト・作曲家・編曲家 園田 涼 さん
10月21日、今年も「コウベ・オールザッツジャズ」のステージに立った園田涼さん。好奇心旺盛で何にでも挑戦し、そこにおもしろさを見つけ、上達してしまう。フルオーケストラの譜面も独学で書いてしまったとか。灘中、灘高、東大出身という異色の経歴を持つミュージシャンです。
―音楽との出会いは?
3歳の時、近所でエレクトーン教室に通い始めました。父はそのころから「灘から東大へ行け」と言っていましたし、僕はレッスンが嫌で、嫌で(笑)。小学校低学年のころかな、先生から「嫌ならやめていいよ」と言われ、母親にそれを話すと激怒され、続けることになってしまいました。
―その後、音楽の楽しさに目覚めたきっかけは?
小学5年生の時、KinKi Kidsの「硝子の少年」のピアノのイントロを聴き、音楽室で弾いていたら、目立たない子だった僕が一躍人気者に!これが「音楽にはこんな力があるんだ」と初めて気づいた時、人生で初めてモテた時と言ってもいいかな(笑)。みんなが知っている曲を弾くと喜んでもらえて、ハマりましたね。そして中学3年生の時、小曽根真さんのCDを聴き、「このカッコいい音楽は何だ!?」と衝撃を受け、「やりたい」と思ったものの、やり方も分からずにいると、小曽根さんが通っておられたジャズスクールを父が見つけてくれて、ジャズピアニストに弟子入りすることができました。
―「灘から東大」と言っておられたお父さまが?
父も音楽が好きで、僕が一生懸命やっているので理解があり応援してくれていました。まさかプロを目指すとも思ってなかっただろうし…。
―超難関校灘中学を受験して、合格されたわけですよね。
ギリギリですけど何とか合格。ところが入ってみると灘中はすごい学校で、それまで見たこともないような天才がごろごろいる。本能的に「勉強では勝てない」と分かり、すぐに勉強は諦めました。
―そこから音楽の道をまっしぐら?
僕の青春は小曽根真さん。初めて聴きに行ったライブで「僕はピアニストになる」と楽屋まで会いに行きました。「高校を卒業したら小曽根さんと同じバークリー音楽大学に留学したい」と話したところ、ここで父は大激怒。「まずは東大へ行け」と。息子がプロミュージシャンになるという想定など全くなかったのでしょうね。今は両親とも応援してくれています。
―東大に入り、ちゃんと4年間で卒業もされたのですか。
浪人はしたくない、すぐに音楽活動を始めたいと思っていましたので。小曽根さんへの憧れもあり、ジャズ研に入ったり、ジャズクラブでセッションをしたりしてこの時期、かなり真剣にジャズ修行をしました。4年生ころにはもう「ソノダバンド」でデビューしていましたし、藤井フミヤさんやゴスペラーズのバックキーボーディストの仕事も頂けるようになり、2年間は休学しています。本当にプロとしてやっていけるのか見極めようという気持ちもありました。
―当時から作曲、編曲も手掛けておられますが、独学で?
エレクトーンコンクールに出るための曲は書いていましたが、音大で本格的に音楽教育を受けたわけでもなく、自分のバンドの曲を書き続けることで勉強してきたというのが正直なところです。あるとき、クラシック界の友達に「フルオーケストラの楽譜書けるか?」と聞かれ、「書ける」と答えてしまい(笑)。急いで本を買い、必死で勉強して、書いた曲をマエストロから「なかなかいい譜面だ」と褒めていただき…。いつも自分を追い詰め、修羅場をくぐり抜けて成長してきたかな。
―ピアノ演奏もジャンルの枠を超えてマルチですね。
ジャズもポップスもロックも好きですから、その場、その場で求められているピアノを弾きたいと思い、それぞれに違う流儀に則って演奏しようと心がけています。例えばポップスやシャンソンの歌手のバックで演奏するなら、ちょうどいいタイミングでちょうどいい音を出せるように、歌に耳を澄まします。今日のようなジャズセッションなら、ある程度暴れた音で演奏できます。ポップスやロックが圧倒的に多い中、ジャズピアニストとして呼んでいただけるのはとてもありがたく、僕自身も楽しめるステージです。
―クラシックを本格的に始めたのも、あえて自分を修羅場へと?
聴くのは好きでしたが、灘中高時代、格段にピアノが上手な人たちを見て、クラシックは彼らに任せて自分はジャズやポップスを弾くと決めていました。ソノダバンド解散後、純粋に「もっとピアノが上手くなりたい」と思い始め、面識もなかったクラシック界のたくさんのミュージシャンに会いに行き、話を聞き、師匠を見つけ本格的にレッスンを始めました。ジャズはその場で閃いたことを音にし、音楽にします。クラシックは作曲家が残した譜面に弾き方のガイドがあり、それをいかに忠実に、いい意味で機械的に再現するか。音一つ一つの出し方と技法が人間工学を基に綿密に決められ、全てが理にかなっています。同じピアノ演奏でもやっていることが全く違って、とても新鮮でおもしろくて…。
―何でもおもしろくしてしまうのですね。
「知りたい、やってみたい」という好奇心がすごく強いのだと思います。
―今、好奇心が向いているのはどこ?
ポップスオーケストラ「ソノダオーケストラ」を立ち上げました。パソコン一台あれば音楽は作れる時代ですから、あえて運営が大変なオーケストラをやろうという人が激減しています。それなら「僕がやってみよう」と始めたら、「おもしろい」と言っていただくミュージシャンも増えてきてステージに呼んでいただく機会も増えてきたところです。
―最後に、園田さんにとって神戸の街とは?
住んだことはないのですが、中高6年間通い、毎日のように三宮で電車を降り、レコード屋さんに寄ったり、たまには女子高生をナンパしてみたり(笑)、ほとんどの時間を過ごした街です。今でも帰って来るとすごく落ち着きます。育った三木も好きですが、実家に帰って2日ほど過ごしたら、もっと忙しくしたいという気持ちになることもあります。神戸は、ゆったりした三木と人や時代の流れが速すぎる東京との中間、とてもバランスの良い街だと思います。
―これからもちょこちょこ神戸に帰って来て演奏してください。楽しみにしています。
園田 涼 さん プロフィール
1986年兵庫県生まれ。灘中学・灘高等高校を卒業後、東京大学文科Ⅲ類(文学部)に進学。在学中にシンセサイザー・コンテストで全国一位を獲得、藤井フミヤ、ゴスペラーズのバックキーボーディストを務め、本格的にプロ活動を開始。2010年「ソノダバンド」がメジャーデビュー。現在はTBS「Sing!Sing!Sing!」審査員、同局「音楽の日」ハウスバンドピアニスト、高橋洋子×京都市交響楽団による「残酷な天使のテーゼ」オーケストラ編曲、JUNHO(from 2PM)バンドマスター、GACKT×東京フィルハーモニー交響楽団「華麗なるクラシックの夕べ」ピアニスト、フジテレビ「ヨルタモリ」テーマ曲演奏、アーティストへの楽曲提供など、幅広い活動を行っている。また、東大から音楽家という経歴を活かして中高生に向けた講演、読売新聞オンライン「ソノダ涼風ファンタジー」、神戸新聞「随想」他、雑誌での執筆なども行っている