4月号
創立125周年へ向けて花ひらく大学 関西学院大学
関西学院大学 学長
井上 琢智さん
1889年、ウォルター・ラッセル・ランバスが神戸・原田の森に創立した関西学院は2014年9月28日、125周年を迎える。近年は新基本構想を打ち出し、時代とともに変化してきた。変遷と今後について井上学長にお聞きした。
―1995年、神戸三田キャンパスが新設されました。その経緯を教えて下さい。
井上 関西学院大学は1960年の社会学部、61年の理学部の新設以来、学部新設がなく、時代のニーズに応えることは必須でした。ところが当時は校地と学生数に規制があり、既に購入済みだった三田の地に、社会科学系学部として総合政策学部を新設し、2001年には手狭だった理学部を移設しました。理学部は2002年に理工学部に改組、2015年には3学科を増設する予定です。
―宝塚キャンパスは?
井上 関西学院初等部です。ランバス初代院長はキリスト教精神を育てるにあたっては、小学生からの教育が必要と考えていました。ところが当時は小学校教育に参入する余地がなく、中学部からのスタートとなりました。そういう意味で一世紀を越えて創設者の思いが実現したといえるのが初等部です。
―大阪梅田キャンパスもありますね。
井上 社会人向けの大学院教育の拠点として経済学研究科のエコノミストコースや経営戦略研究科の授業などを開講しています。また学会や講演会などの開催、さらに学生たちの就職活動の支援にも活用されています。
―西宮聖和キャンパスもありますが、先生の養成が目的ですか。
井上 基本的には幼稚園と小学校の教諭を養成するのが目的です。聖和は3つの学校からなり、その一つがランバス院長のお母様が作られた神戸婦人伝道学校です。元々がランバスファミリーにより創設されたので、関学とは縁の深い学校です。
―学長メッセージでも耳にする「垣根なき学びの探究」「複眼的な視野」とは。
井上 関学は伝統的に学部の垣根を低く設定した大学で、他学部の履修がかなり自由です。時計台に向かって右が人文系、左が社会科学系と分け中央芝生でお互いが話し合うという形を取っていました。これをさらに発展させようというのが「垣根なき学び」です。学生には「複眼的な視野」を持って学ぼうと、いつも話しています。関学の経済学部を卒業され、日清製粉株式会社の代表取締役社長になられた村上一平氏が引退後、関学大学院を改めて受験し、2012年度に文学研究科文化歴史学専攻に入学して、念願だった歴史の研究を始めておられます。社会人になってからも複眼的な視野を持つという良いお手本ですね。
―外部との連携を進めている研究はありますか。
井上 スプリング8で勤めていた関学の卒業生が現在、理工学部の教員になっていることもあり、理化学研究所の施設を利用した研究を始めています。スーパーコンピューター「京」については今後、活用したいという希望は持っています。文系では、西宮神社と学術連携協定をむすんで、古文書解読のお手伝いをしています。その他、文系・理系ともにそれぞれ教員が企業と連携して研究を進めている例はたくさんあります。
―アメフットをはじめ体育系・文化系で全国に誇るクラブも多い関学ですが、学生にとっての意義とは。
井上 大学紛争以降、スポーツ推薦がなくなり関学の体育系クラブのレベル維持が難しくなりましたが、その間に、新制大学も含めた学生スポーツの仕組みができました。昭和50年頃から多様な学生を受け入れようという意味でのスポーツ推薦が徐々に再開されました。あくまでも勉学にも励みながらというのが学生スポーツですから、学業と両立できるように、試験合格者のみ許可するものです。しっかり学業を修めて立派なスポーツマンとして卒業してほしいですね。
―海外との交流も深いですね。
井上 古くは旧制専門学校当時、宣教師とともにアメリカにある大学の神学部へ留学するという交流がありました。現在は海外に135の協定校を持っていますので、キャンパスには多くの交換留学生がいます。また、新基本構想を実現するための新中期計画の「多文化が共生する国際性豊かなキャンパスを実現」というビジョンに基づいて、文部科学省の教育プログラムCCC(クロス・カルチュアル・カレッジ)の採択を受けてカナダの3大学と協働で合同プログラムを進めています。最近ではトルコやラトビアなどとの交流も始めています。
―学長が関学生だったころに比べ、最近の学生気質はどうですか。
井上 大学が高校の延長という側面が強くなった気がしますね。きちんと出席して、教員に言われたことはちゃんとできます。学問の進歩が速い現代では、大学生になっても覚えるべきことがたくさんあり、やむを得ないのでしょうが、いつまでも高校の延長では問題です。私たちの頃は、大学生になった途端に「自分の責任で全てやれ」と言われ、大人にならざるを得ないという状況でした。大学生のうちにどこかで次のステップに踏み出さなくてはいけません。私は常に、「天から与えられた賜物を自分で発見し、自分で磨き卒業してください」と学生たちに話しています。
―多くの卒業生が輩出していますが、力になってくれていますか。
井上 学生が海外に留学した場合に現地で卒業生たちがよく面倒を見てくれているようです。ありがたいことだと思っています。大学は、4頭だての馬車のようなもの。学生は若い御者で、教員、職員、保護者、同窓会が足並みを揃えなくては学生たちはうまく育たないと思います。
―これからの関学について。
井上 大学の発展は、学部や学科を増やすことだけではありません。私は学長在任の3年間を「今あるものをいかに発展させていくか」という基礎的な体力づくりの時期として位置づけています。それを受け継ぐ次の世代の人たちにとってのキーワードは国際化だと思っています。ビジネスパーソンとして国際社会を駆け回ることも大切ですが、それ以上に社会そのものを変革する気概を持った人をいかに育てるかが重要です。4頭だての馬車でこの目標に向かっていくのがこれからの関西学院のあるべき姿だと思います。
―卒業生として大いに期待しています。ありがとうございました。
インタビュー 本誌・森岡一孝
井上 琢智(いのうえ たくとし)
京都府出身。1970年、関西学院大学経済学部卒業、1975年に関学大大学院経済学研究科博士課程単位取得。1985年、関学大経済学部助教授に着任。1998年から2001年まで経済学部長、2005年から2008年まで副学長を務めている。専門はイギリス経済思想史、日本経済思想史。2011年4月から現職。