2013年
4月号
義太夫『吉野山』(「若柳会」より 平成20年京都南座) 左:「忠信」若柳吉蔵  右:「静」若柳吉金吾

神戸鉄人伝(こうべくろがねびとでん) 神戸の芸術・文化人編 第39回

カテゴリ:文化・芸術・音楽


剪画・文
とみさわかよの

日本舞踊家
若柳 吉金吾さん

二〇一一年に兵庫県文化賞を受賞された二代目若柳吉金吾(わかやなぎ・きちきんご)さん。若柳流宗家の直門で、兵庫県を代表する舞踊家ですが、取材中には度々「他人様のために」「他人様のことを考えて」という言葉を口になさいました。形から学び、守るべきは守り、“吉金吾”を表現する―舞台で放つオーラは、観る者を圧倒します。「書家は“正”の字を変えることはできませんが、味わいを出すことはできます。踊りも同じです」と語る吉金吾さんに、お話をうかがいました。

―日舞の世界に入られたのは?
母が料理屋を営んでいたので、踊りの先生が仲居さんに踊りを教えに来ていました。ですから子どもの頃から、踊りは身近なものでした。小学校6年生の時に母が亡くなり、天涯孤独の身になった僕のことを、当時担任だった幹覚盛先生(加古川・鶴林寺住職)が大層心配してくださいましてね。先生のお世話で、藤間縁久寿先生の内弟子となりました。これが舞踊家としての出発点となります。

―住み込みでの修行生活を、そんな小さい頃から。
学校へも行って、お台所や雑用をして、踊りを習う生活でした。礼儀作法や踊りのことはもちろんながら、芸の心に至るまで、徹底的に叩き込まれました。ある時お手洗いの床を磨きあげたら縁久寿先生が足を滑らせて転ばれて、すごく叱られました。「磨いて光らせることと、心を込めて丹念に拭き清めることは、根本から違う」と。

―藤間流から若柳流になられたのは?
17歳で藤間縁寿郎を名乗り、24歳の時に先代吉金吾の娘である妻と結婚しました。内弟子として8年間の修業ののち、父のもとに参りましたが、父親が師になるわけでしょう、24時間気が休まる時が無くて。もちろん父にはかわいがってもらいましたよ。そして二代目吉金吾を継ぎ、若柳流三世宗家の若柳寿童師に弟子入りし直門になります。寿童師の教えも、挙げれば限りありません。藤間流と若柳流、流派ごとに特徴はありますが、基本=底に流れているものは同じですから、抵抗無く継ぐことができました。

―流派を超えて、常に心掛けておられること、守っておられることは何でしょう?
日本人らしい匂いを出すことです。形を真似ることも大切ですが、体の中から醸し出す匂いが日本的である―というのが、僕の生き方なんです。普段から着物を着て、お玄関にもお花を活けて、できるだけ和食を食べて、常に「日本」を意識して生活しています。踊る時だけ日本の精神を、というのはちょっとどうかしらねえ。季節の行事や習慣を皆さんにお伝えするのも、我々の仕事なんですから。

―直裁ながら、「芸」とは?
若い時には若い時の踊りがありますが、年を重ねると考えが深くなり、若さに対する憧れが出てきます。芸というのはリアルさではなく、もうひとつ考えてできるもの。年配者が「若いというのは、こうだ」と考えて若者を演じる、それが「芸」です。僕自身も年とともにそんなふうに思うようになってきて、客観的に役や自分を見れるようになりました。若い頃は気負っていたというか、「他人様より優れていないといけない」という思いが強くて。性格悪い人に見えたでしょうねえ。

―阪神・淡路大震災の年にも開催したリサイタル、原動力はなんだったのでしょう。
杉本苑子さんの小説『華の碑文』は、世阿弥の生涯を書いたものですが、僕はこれを教科書のように思っています。「芸の盛りは30~40歳」とあるのを、今の時代なら「40~50歳」だろうと考え、40歳から毎年、リサイタルを10年連続で開催しました。経済的にもすごく大変でしたが、「今しかない」「生きた証」と走り抜きましたね。やり遂げてからは、「そんなに気負わなくていい」と思えるようになって。今は、自分の中から出てくるものを、そのまま見ていただけばいいと思っています。

―お教室では、ご自身で指導されていますね。
カルチャーのお教室なんかを代稽古で済ます方もいらっしゃるけど、僕は自分で教えます。生徒の顔を見て、話をして、時間を共有することが大切なんじゃないかしら。お家のお稽古場は、誰も来なくてもお掃除して空気を清め、お花を枯らさない。僕を慕って来てくれる方がいる限り、迎えられるようにしています。「習うならあの先生」「先生と出会えてよかった」と思ってもらえる人間でありたいですよね。

―母との死別という出来事からの出発でしたが、夢かなえた人生といえますか?
昔、鶴林寺の幹先生に「人生10のいいことがあれば、10の悪いこともある。くじけず自分の道を行きなさい」と言われました。様々なご縁、他人様の支えがあって、今の自分があるのだと思います。何かに向かって一心にやっていれば、夢はかなうのかもしれません。
(2013年2月7日取材)

義太夫『吉野山』(「若柳会」より 平成20年京都南座)
左:「忠信」若柳吉蔵  右:「静」若柳吉金吾

とみさわ かよの

神戸市出身・在住。剪画作家。石田良介日本剪画協会会長に師事。
神戸のまちとそこに生きる人々を剪画(切り絵)で描き続けている。
日本剪画協会会員・認定講師。神戸芸術文化会議会員。

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