5月号
連載コラム 「第二のプレイボール」 |Vol.15
文・写真/岡力<コラムニスト>
引退後にさまざまな世界で活躍する元プロ野球選手の「今」をご紹介します。
Vol.15 「キレのある解説と温和な人柄で関西の顔に 野球解説者 湯舟敏郎さん」
今日もエレクトーンの音色で一日がスタートする。朝食時の背景には、いつもの6チャンネルが放送されている。中盤のスポーツコーナーで男性コメンテーターが登場し、自然と箸がとまる。画面に目を向けると穏やかな表情で情報を伝える元プロ野球選手の姿があった。
元阪神タイガース投手・湯舟敏郎さんは、大阪府貝塚市育ち。小学4年の時に野球と出会う。当時は、ピッチングよりバッティングに興味があったという。リトルリーグ、シニアリーグで経験を積み大阪の古豪・興國高校へ進学。卒業後は、創部したての奈良産業大学野球部において近畿学生リーグ5連覇という偉業を成し遂げた。プロを意識することなく就職の手段として本田技研鈴鹿に入社。社会人野球での活躍が目に留まり野茂英雄(新日本製鐵堺―近鉄)や潮崎哲也(松下電器―西武)らと共に「史上最強」と称された全日本代表メンバーに選出された。
迎えた1990年度のドラフト会議。「身体のコンディションもよく、その年限定で指名があればプロへ行こうと考えていた。きっと2年ぐらいでクビになるだろうなと思い入団した」と当時を振り返る。結果、阪神タイガースかから1位で指名を受け初年度から活躍。
そして迎えた翌年の6月14日広島戦。「ゲーム終盤の時点で理解はしていましたが何とかしたいという気持ちはなかったですね。普段のゲームと一緒です。さすがに最後のバッターだけでは狙っていきましたけど」。ファンにとっては記憶に新しいこの日、甲子園においてノーヒットノーランを達成した。1993年には、オールスターにも出場。2001年、前年に移籍した大阪近鉄バファローズを最後に引退した。
その後、二度に渡り古巣である阪神タイガースの二軍投手コーチを経験。若手生え抜き選手の育成に力を注いだ。「今年の阪神は、粒ぞろいでいいですよ。強い球を投げる投手が増えてきましたね」と期待を寄せる湯舟さん。経験と実績を軸にした確かな解説と温和な人柄で今日もリビングをアットホームな雰囲気に包んでいく。