5月号
兵庫ゆかりの伝説浮世絵 第二十七回
中右 瑛
布引の滝より竜宮城に至る
天下三大名瀑のひとつと謳われた名瀑・布引の滝には、源平にまつわる因縁ばなしが秘められている。
平清盛の長子・重盛の家臣に難波次郎常俊という武士がいた。豪勇の誉れ高く、“平治の乱(1159)”で大いに武勲をあげ、そのあと源氏の若大将・義平を生け捕ったりして、常俊は大いに活躍した。
義平とは源義朝の長子で“悪の源太義平”と異名をとるほどに気性の激しい荒武者で、そのとき弱冠二十歳だったという。その義平が京・六条河原で打ち首になり、常俊はその介錯をした。
義平は
「雷となって復讐せん!」と絶叫…、
刎ねられた義平の首は常俊の刃に噛みつき、壮絶な最期を遂げた。気性の激しい義平のことだけあって、最後まで人々を震えあがらせた。
豪気な常俊だが、それ以来、気の晴れぬ毎日を過していたのである。そんなときに
「滝にうたれて修行せよ!」
とのお告げがあり、常俊は布引を訪れる。
入り口には僧がいて滝壺の奥へと推めた。
常俊は言われるままに滝壺の奥深く侵入し、とうとう竜宮城に辿りつき、そこで乙姫様から水晶玉を授かった・・・
という荒唐無稽な夢物語が伝わっているのである。
図は、竜宮城に辿りつき、乙姫様との出会いのシーンが描かれている。リズミカルな浪の表現は見る者をワクワクさせる。絵師の歌川芳艶は、武者絵で評判の国芳の弟子で、怪物や冒険ものなど楽しい劇画を得意とした。
江戸庶民たちは夢のような冒険ドラマに胸躍らされたのである。
しかし、この話には続きがある。水晶玉をもらって喜び勇んで持ち帰った常俊だが、その霊験虚しく、思わぬ災難に遭遇するのであった。
中右瑛(なかう・えい)
抽象画家。浮世絵・夢二エッセイスト。1934年生まれ、神戸市在住。行動美術展において奨励賞、新人賞、会友賞、行動美術賞受賞。浮世絵内山賞、半どん現代美術賞、兵庫県文化賞、神戸市文化賞、地域文化功労者文部科学大臣表彰など受賞。現在、行動美術協会会員、国際浮世絵学会常任理事。著書多数。