5月号
触媒のうた(63) ―宮崎修二朗翁の話をもとに―
出石アカル
題字 ・ 六車明峰
「触媒のうた」の第一回目に宮崎翁のことを次のように書いた。
《博覧強記とはこの人のことをいうのだろう。文学に関する疑問はこの御仁に聞けば立ちどころに解決する。
兵庫県の文学史についてもすでに数々の著書、紙誌に書きつくしておられるが、中にご自分では書きにくいこともあって、それが結構貴重な証言だったりする。この新連載では、そんな秘話を書いてゆきたいと思っている。放っておけばそれらの話は記録されることなく消え去ってしまい、あまりにも惜しい。》
五年余りにわたって書いてきたが、この辺りで一旦筆を置こうと思う。兵庫県、いや日本の文学史にとっても少しは貴重な話が残せたのではないだろうか。
実は、宮崎翁とは切っても切れない富田砕花師の話をもう少し書くつもりでいた。特にお二人の旅の話を書ければいいなと思っていた。お二人の間には数多くの旅の話があるはず。しかしわたしは果たせなかった。とてもじゃないが書けないのである。単にエピソードを並べるだけでは、お二人の心の中には届かない。少々の想像力を使っても真相には迫れない。わたしは諦めるほかなかった。
宮崎翁から頂いたお手紙の一部である。
《私は砕花師に幾度か旅につれ出していただきました。旅とは?を“無言”で教えていただきました。ありがたいことでした。旅は“独学”だとさとることができたのは、人生の幸せの最高でしたヨ。貴兄と、もうご一緒に旅することも叶いません。旅とは「賜び」であることをあなたとしみじみ実感したかった願いもついに実現しなかった。(略)》
砕花師の旅、また宮崎翁の旅は、決して文字にはできないものというわけだ。それを私に実感させてやろうと思っておられたのだが…。いつの日にか、わたしにその力がつけばとの思いを残して、この連載を終えたいと思う。
終えるにあたって、もう一度確認しておきたいことがある。
それは、「触媒のうた」というタイトルのこと。途中からの読者には意味が解らないであろう。
連載を始めて二回目の「本の背中2」より。
《翁、まだ十七、八歳の若き日、文部省図書館講習所時代のことである。長崎県の片田舎から東京に出て行った宮崎翁を襲ったのは強烈な劣等感だったのだ。あまりにもレベルの高い教授陣と大学卒を含む同期生に、自分の力の無さを思い知らされたのだと。そんな時、岡田温講師(後、国会図書館長)の“触媒”についての講義を聞き、「自分はこれだ、これで行こう。人間は偉くならなくったっていいじゃないか、人のお役に立てればいいじゃないか、と思うようになりました」わたし、信じられません。青雲の志もあったであろう二十歳に満たない若者が考えつくことではないであろう。ところがそれを88歳(現在94歳)の今日まで変わらず貫いておられる。わたしはため息をつくばかりだ。》
この、ため息をつく思いは、今も変わらない。翁には今日まで50冊にあまる著書があるが、その全てがご自分を表現したものではない。名著『環状彷徨』を始め、みんな世のため人のために書かれたもの。後の研究者の役に立つものばかりだ。
ということで、翁は、ご自分の手柄話になるようには書いておられない。しかし、わたしが「喫茶・輪」で折に触れお聞きした話には、翁が関わられた文学上の秘話がたくさんあった。これは残しておかなくてはならないと思ったのである。それがこの連載「触媒のうた」になったわけだ。
やがて一冊にまとめたいと思っているが、翁には気に入らないだろうな。翁は、翁が尊敬してやまない砕花師と同じように自らを語ることを嫌われる。ご自分では絶対に書かれないことをわたしは書いている。しかしお許し頂きたい。きっと後の研究者の役に立つと信じるからである。いわば、わたしにも、ちょっとだけ触媒の役目をさせて頂けたのかと思う。これはわたしの誇りです。
宮崎先生、ありがとうございました。先生はご自分のことを「先生」と呼ばれることを嫌われますが、わたしは先生のことを文中では「宮崎翁」と書きながら、「先生」以外の言葉でお呼びすることはできません。いい勉強をさせて頂きました。いや、これからも続けて御指導下さいますよう、よろしくお願い致します。
次号から装いを新たにして、またわたしの駄文をお届けすることになっています。その中で、これまでに宮崎翁にお聞きしておきながら、紹介できなかった話も折に触れて書きたいと思っていますのでよろしくお願い致します。
これまでの主な登場人物
足立巻一 秋田実 阿部知二 池田蘭子 石上玄一郎 井伏鱒二 伊藤整 イワタタケオ 内海信之 頴田島一二郎岡本久彦 嘉治隆一 川内康範 山本周五郎 久坂葉子 笹部新一郎 椎名麟三 島尾敏雄 白川渥 杉本苑子 杉山平一 高見至孝 竹中郁 多田智満子 辰野隆 土屋文明 富田砕花 中河与一 中野繁雄 中野重治 野坂昭如初山滋 三浦光子(啄木の妹) 柳田國男 矢野徹ほか。
出石アカル(いずし・あかる)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。詩集「コーヒーカップの耳」(編集工房ノア刊)にて、二〇〇二年度第三十一回ブルーメール賞文学部門受賞。