5月号
横尾忠則のアートな世界が導く舞台 玉置浩二プレミアムシンフォニックコンサート21st CENTURY RENAISSANCE 横尾 忠則(美術家)×玉置 浩二(ミュージシャン)
2015年、玉置浩二さんとフルオーケストラ初の競演が国内外を席巻した。そして新たなステージ「玉置浩二プレミアムシンフォニックコンサート21stCENTURY RENAISSANCE」が始まろうとしている。今回のシリーズでは、ポスター等のデザインを世界的美術家の横尾忠則さんが手がけ、話題を呼んでいる。音楽と美術に携わるお二人にそれぞれの世界観をお話しいただいた。
音楽も美術も、心の内なるものをそれぞれの手段ではき出すもの
―初のフルオーケストラ競演のきっかけと印象は?
玉置 「安全地帯」以来30年以上にわたって500~600の曲を作って、歌ってきました。「何か違う形があるのでは?」と迷いがあったとき、ビルボードクラシックスのお話をいただきました。オーケストラと競演する壮大なスケールのステージをやってみたいという思いはかねてからもっていましたので、「これは宿命だ」と思いましたね。実際競演してみて「今までのこの曲がこうなるんだ!」という新しい発見とたくさんの感動がありました。
―半端ではない緊張感だそうですね。
玉置 バンドメンバーと一緒だと「5曲目ぐらいで調子が上がってきたらいいか」という気持ちがちょっとあります(笑)。オーケストラとの競演は最初から全部観られているという感覚があり、ずっと緊張が続きます。
―毎回、最後はすごい拍手とスタンディングオベーションですね。
玉置 ステージでは、歌い始めてちょっと他のことを考えてしまうとすぐに足元をすくわれてしまいます。ずっと緊張感をもち、歌に集中し続け、客席からの反応に気づき、感動が伝わってきます。終わった途端に、自分でも驚くほどダメな奴になってしまいます。
―アンコールではマイクを通さず歌っていますね。
玉置 こんなに長く音楽をやってきたのに、オーケストラホールでの音の反響の素晴らしさを初めて知り、感動しました。この感動を自分で楽しみ、お客様にも伝えたいという思いです。初めから最後までは難しいですが、できれば続けていきたいと思っています。
―横尾さんもステージはご覧になられましたか。
横尾 ホールへは行けなかったのですが、大画面で見せていただきました。玉置さんのステージは最大級サイズの画面をはみ出しています。周囲の空間まで全てを音楽の〝味方〟にしてしまうんですね。
玉置 自分では特に考えて創っているわけではないので、そう言っていただけると嬉しいです。
―絵を描くことにも通じるものがあるのでしょうか。
横尾 音楽も絵も、言葉で表現できないものを創りたいという気持ちがあります。共通するものは、〝寡黙〟かな。絵は自分の中にある言葉を、描くという手段を使って身体からはき出す作業だと私は思っています。音楽も同じなんですね。
―音楽に絵は付き物ですが、どんなスタンスをおもちですか。
玉置 絵に対しても、歌っているときと同じで「うわーすごい!」「感じるなー」というスタンスをもっています。今回、横尾先生に描いていただいたポスターには、ただただ〝驚き〟でしたね。
横尾 新聞の折り込みを見て、私も驚きました(笑)。
―横尾さんご自身と音楽の関係は?
横尾 私は世界中にある全てのジャンルの音楽を聴きますが、絵を描くときだけです。自分の内にある言葉を身体から排出するにあたって音楽を一体化させると、頭の中の概念が全部消えてしまいます。
ずっと歌い続けられることが何よりの幸せ
―今回の「プレミアムシンフォニックコンサート」への新たな意気込みは?
玉置 続けさせていただき、たくさんのお客様にまた来ていただけることにまず感謝です。良いものは残しつつ、新しいものを加えていこうと考えています。新しい曲を選曲し、海外からのオーケストラも招き、引き続きノートークで歌だけを聴いていただくつもりです。バルカン特別編成交響楽団との競演のために、オーケストラ作品に初めて挑戦し、「歓喜の歌」が仕上がりました。出来栄えは本番ステージで!
―ビルボードライブでのステージもありますね。
玉置 こちらは弾き語りです。皆さんのお陰で、いろいろなスタイルで歌わせていただけて嬉しいですね。
―玉置さんが考えるご自身の歌のこれからは?
玉置 自分では「やっと歌えるようになってきた」と思っている段階です。これから頑張ります(笑)。
―横尾さんの今後の方向は?
横尾 私はもう第4コーナー回ってゴールが見えてきていますから、あんまり先のことを考えたら「死ぬこと」しかないですからね(笑)。残った距離をみちくさしながら、後ろから来る人には先に行ってもらって…こんな感じは若い時とは違う楽しみです。玉置さんはまだまだ若いから…。
―いかがですか。
玉置 来年がバンド結成35周年、再来年は僕自身が還暦を迎えます。今はプレミアムシンフォニックコンサートに身体を合わせて、体調面にも気を付けています。歌わせてもらえなくなったら困ってしまいます(笑)。歌い続けられることが何よりの幸せです。
発展は不満を抱くことから始まる。居心地良さに甘んじてはいけない
―全国のオーケストラホールを回ってこられましたが、西宮の兵庫県立芸術文化センターはいかがでしたか。
玉置 どこも素晴らしいホールですが、芸術文化センターは、「最初から最後までマイクを使わずにいけるんじゃないか?」と思わせてくれるホールのひとつです。
―神戸のイメージは?
玉置 正直、コンサートでお邪魔したときは外へ出かける機会はありませんが、海があって、山があって、街があって、そこに居るだけでいいという感じかな。
―昭和50年代、横尾さんは神戸新聞社に在籍されていましたが、当時、そして今の神戸の印象は?
横尾 当時の神戸は「横浜と並んで日本の文化の玄関口」という明治以来の考え方の名残がありましたね。若い人たちはかなり変わってきているようですが、今でもそういった文化的プライドが幾分あるんじゃないかな。日本の6大都市での意識調査では、自分の住む街にいろいろ不満を抱いている人が多いのですが、神戸の人は「ずっと神戸にいたい」と肯定的に答えています。不満を抱かないということは、それ以上発展しないということです。今はもう外来文化が神戸に入った船の時代ではなく、飛行機の時代、いやネットの時代。意識を変えていく必要があるのではないでしょうか。
〝ポップと戦争〟美術展開催玉置浩二・美術館ライブも
―横尾忠則現代美術館では「横尾忠則展 わたしのポップと戦争」が開催されています。あえて戦後71年で開催する理由は?
横尾 昨年は戦後70年で戦争について考え、多くの問題提起がなされました。それに便乗はしたくなかったのです。戦争問題は70年で終わるわけではなく、これからもずっと考え続けなくてはいけないことだからです。
―「ポップ」と「戦争」は相反するもののように思えますが…。
横尾 小学校3年生で終戦を迎えた私はそれまでの2、3年、戦争の恐怖にさらされる体験をしました。8月15日を境に、昨日までの軍国主義が民主主義にガラッと変わり、進駐軍がやって来て、禁止されていた英語が生活の中に入ってきました。物資が豊富になり、表現が自由になりました。そして始まった消費文明の象徴「ポップアート」が、私の中では戦争の後にくるものです。相反するものを結び付けたのですが、ご覧になる方それぞれの受け止め方次第だと思っています。
―5月24日には玉置さんの美術館ライブも予定されています。26・27日は西宮でのコンサートです。今回も多くのファンが楽しみにしていると思います。
本日はありがとうございました。
横尾 忠則(よこお ただのり)
1936年生まれ。美術家。72年にニューヨーク近代美術館で個展を開催。その後もパリ、ヴェネチア、サンパウロなど世界各国のビエンナーレに招待出品。パリのカルティエ現代美術財団など国内外の美術館で相継いで個展を開催し、国際的に高い評価を得ている。第27回高松宮殿下記念世界文化賞受賞。2012年、神戸 に横尾忠則現代美術館開館。2013年、香川県豊島に「豊島横尾館」開館。今後も世界各国 の美術館での個展が予定されている。
オフィシャルサイト http:// www.tadanoriyokoo.com/
玉置 浩二(たまき こうじ)
1958年生まれ。北海道出身のシンガーソングライター。1982年バンド「安全地帯」としてデビュー。「ワインレッドの心」、「恋の予感」、「悲しみにさよなら」など80年代の音楽シーンを席巻。ソロ活動で作詞も手がけ始め、「田園」をはじめとする多くのヒットを生み出す。 デビュー30周年である2012年には、オリジナルレーベル「SALTMODERATE」を発足。安全地帯とソロの活動を並行して行いながら、2014年、7年ぶりとなるオリジナル・ソロ・アルバム『GOLD』、そして同じ時代を共有してきたアーティストの名曲を歌ったアルバム『群像の星』をリリース。
オフィシャルサイト http://www.saltmoderate.com/