2月号
トアロード・アーチ・リニューアルイベント 生田神社・加藤隆久名誉宮司が陳舜臣を語る
神戸風光無限趣
昨年11月22日、トアロードの名店「MOKUBA’STAVERN」で、生田神社名誉宮司、加藤隆久さんのトークショーが開催され、立錐の余地もない大入りとなった。
主なテーマは、2024年に生誕百年を迎える陳舜臣さんについて。陳さんと司馬遼太郎さんは旧制大阪外国語学校(現在の大阪大学外国語学部)の同窓で、学生時代からの親友の二人は神戸でよく会っていたことなどにも触れつつ、神戸の文壇を代表する直木賞作家の経歴や功績を振り返った。
まずはトアロードの名前の由来から。陳さんはトアロードを上がったところに住んでいたとか。現在の外国人倶楽部のところにあったトアホテルのマークは鳥居で、さらに道を下ると三宮神社の鳥居があったことから「鳥居ロード」とよばれていたが、外国人が「トリイ」と発音しにくいことからドイツ語の「門」を意味する「トアー」に転じ、やがて「トアロード」となったという陳さんの説が的を射ているのではと加藤さん。
続いて陳さんと生田神社についての話題に移り、生田神社の社報に寄稿した陳さんのエッセイをいくつか紹介。そこでは戦災に遭った生田神社のようすも描かれ、陳さんは幼い頃に自分の故郷を重ね合わせた生田の森に、戦争で傷ついた心を励まされたという。ちなみに、空襲で焼失した社殿を再興したのは加藤さんの父で、多賀大社、吉備津彦神社も復興し「造営宮司」とよばれていたそうだ。「阪神・淡路大震災で社殿が倒壊したとき〝お前は神社を建てたことがあるか?神職ならば必ず建て直せ〟という父の声がしたんです」という逸話も。
また、貿易会社に勤めながら小説を書いていた陳さんが、江戸川乱歩賞受賞の一報を耳にする直前に鞄の取っ手が切れたことを、「職業を変えろという生田の神の暗示だった」と受け止めていたことも興味深い。それをきっかけに作家一本となり、以降、『青玉獅子香炉』『阿片戦争』など数々の名作を世に送り出していったことはご存じの通り。
台湾にルーツを持ち、神戸で生まれ育ち、日中友好に努め、中国やシルクロードの歴史や文化のみならず空海や能など日本の精神性にも造詣が深かった陳さんを、加藤さんは「国際都市・神戸を象徴する人物」と評し、生田神社と神戸の起源、国際宗教都市としての神戸と神道の寛容さについても語った。
最後は会場に飾られていた陳舜臣さんの書を解説。これは加藤さんの依頼で書かれたもので、その際に陳さんが「酒でも呑まんと字なんて書かれへんよ」と4合も杯を重ねてからやって来て筆を執ったというエピソードに、客席からは笑いが。そして「神戸市は陳舜臣さんをもっと顕彰する必要があるのではないか」と提言し締めくくった。
お話の後には加藤さんや画家の石阪春生さん、小説家の筒井康隆さん、ミュージシャンの小曽根実さんらが集った「バーボンクラブ」についての質問に笑顔で答え、メンバーの一人、新井満さんが手がけた「バーボンクラブの歌」を軽やかな歌声で披露した。
なお、この会はトアロードのシンボルであるアーチのリニューアルを目的としたイベントで、新しいアーチはこの春にもお目見えする予定だ。