1月号
神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~㊺前編 田辺聖子
神戸へのあふれる思い…異人館生活への愛着は深く
洋館での新婚生活
時代や世代を超え、普遍の人気を誇る作家、田辺聖子(1928~2019年)。生まれ育った大阪や新婚生活を送った神戸などを舞台にした小説を原作に、これまで何度も映画化やドラマ化、アニメ化が繰り返されてきた。彼女が描いた世界観は日本だけでなく近年、韓国で映画化されるなど国境をも超える。この人気の源泉とは…。
田辺は1928年、大阪市内で生まれた。実家は祖父の代から続く写真館だった。
地元の高校から樟蔭女子専門学校(現在の大阪樟蔭女子大学)へ進学。卒業後は大阪の金物問屋で働きながら、同人誌などに小説を書いていた。
そして1964年、「感傷旅行」で芥川賞を受賞し、国民的人気を誇る女流作家となっていく。
彼女の波乱万丈の生涯が、NHK連続テレビ小説「芋たこなんきん」でドラマ化され、2006~2007年に放送された。
田辺をモデルにした〝遅咲きの作家〟花岡町子を演じたのは実力派の藤山直美。
強面(こわもて)の風貌から〝カモカのおっちゃん〟と町子が呼び、エッセーなどにも登場する、後に夫となる開業医、徳永健次郎をベテラン、國村準が演じ、夫婦の関西弁での丁々発止のやりとりが再現され、今でも話題となる人気の朝ドラの一作となった。
いうまでもなく〝カモカのおっちゃん〟は、1966年に田辺が結婚した夫、川野純夫さんがモデルだ。
小説「お目にかかれて満足です」(集英社)には田辺が新婚時代、神戸の諏訪山の異人館で暮らした頃の日常生活をモチーフにした描写が綴られている。「まるでドラマのような」当時の二人の暮らしぶりが伺え、興味深い。
例えば、こんなエピソードが出てくる。
《この前、表の木の柵(倒れかけているのを私が起し、白ペンキをていねいに塗ったもの)のあたりを掃除していたら、若い娘が三、四人通りかかって、「あっ、いい家……古めかしい洋館。みてみて」と、さえずり合って、どこのことをいっているのかと思えば、私の家と、隣家を指しているのだった。彼女たちは細い私道へはいりこんで来て、珍しげに覗きまわっていた。旅行者のようだった》
当時、田辺が暮らしていた神戸の諏訪山の一帯には、まだ、いくつも異人館が残っていたことが、小説の中で描かれている。
この小説を田辺自ら執筆した解説が面白い。
《るみ子らの住むという設定の古い洋館は、神戸に住んでいた時代、現実に夫が買ったドイツ人の洋館であった。右隣は中国人ご一家、道の下の曲り角は、右にフランス人の邸宅、左にオランダ人(と聞く洋館)と、国連みたいなひと山であった》
一方、小説の中では、るみ子たちが遭遇する、こんな物騒なエピソードも…。
《二階にいた私が、何げなく下りてみると若い男が台所のまん中にいた。私はとっさに泥棒だ、と直感したが、もしかして、訪問客だったらいけないと思い、微笑を浮かべようかどうしようか、そう迷っているうち、顔は不随意筋のように、ニヤッとゆがんで笑っていた。
若い男はきょろきょろした。
そのとき、庭に通じるフランス窓から洋が、これも何げなくはいってくるなり、「誰や! こらッ!」と大声でどなった》
この関西弁でどなる洋は、川野がモデルだ。
実際に田辺が暮らす神戸の洋館は、空き巣被害に遭い、そのときの経験を基に描かれた描写だという。
神戸との運命の出会い
こんな優雅な生活を送っていた田辺夫婦だったが、この空き巣事件を機に、「カモカのおっちゃんが嫌がりだした」ために洋館を手放している。
田辺の解説はこう続く。
《坂から見える海、六甲の緑の山々。私は『お目にかかれて……』の舞台を、阪神間に設定したけれども、私の、ようく知っているのは、神戸市の山地の、いわゆる〈異人館〉山なのであった。運命の偶然で、そのあたりと出会い、この小説を書く契機となったのを、嬉しく思っている》
この小説が収録された「田辺聖子全集 第十二巻」が発刊されたのは2005年1月。
《いま、あのあたり、ある家は廃屋となり、ある家は日本人の所有となって建て替えられ、様子は変ったと聞くけれど、神戸を去ってからは行っていないので知らない。しかし〈異人館〉の匂いはこの物語のなかに、著くとどめられた気がして、それも、私をして、この物語に愛着せしめる一因である》と。
神戸への思いがあふれる一文である。
1967年、義父の死去後、諏訪山の洋館を出た田辺は神戸市兵庫区で夫の家族と同居を始める。新居での生活もこれも〝まるでドラマ〟のよう。総勢十一人の大家族だった。
=続く
(戸津井康之)