2月号
神戸で始まって 神戸で終る ㉟
「自我自損」展は、作家がキュレイターとして自作を構成するという展覧会である。この展覧会の企画は、自分から提案したのか、それとも学芸員から指名されたものなのか、今では記憶がないが、いずれにしてもメンドーなことになったわい、というのが本心である。
最初、担当の山本淳夫さんから「自我自賛」展というタイトルを提案されたが、これでは文字通り、自我の主張を賛美することになるので、もう少し謙虚なタイトルで「自我自損」展に変更することにした。「自我自損」とは「エゴに固執すると損をする」という意味の造語であるが、この語を受けて山本さんは「絶えざる自己否定をする横尾の一貫したテーマで、自我からの解放を反映するものだ」と解説するが、僕はそこまでシリアスに考えていない。むしろカジュアル的な発想で、ジョークのつもりであった。
本展出品作は、過去の旧作や平成2年にインドのアーメダバードの映画看板を描くシネ・アーティストの職人とコラボレーションをした巨大な絵や、長年集めた滝のポストカード1万2千枚の中から相当数選んで、展覧会場の一角に個室を設置して、その内部空間を滝のポストカードで埋め尽くすというインスタレーションを行った。この滝のポストカードのインスタレーションは、ニューヨーク、パリ、ローザンヌの海外を始め、国内でも4カ所の美術館でも展開して、好評を得ていたので、ぜひ横尾忠則現代美術館でも展示したいと美術館の設立当初から計画していたもので、やっと陽の目を見ることができた。
この滝のポストカードは、最初、滝の絵を描くための資料として集め始めたものである。世界中の歴史的な滝のポストカードを集めるために、アメリカのカムデンという小さい町のアンティークショップの老婦人によって集められたもので、最終的に1万2千枚を越える膨大なコレクションになってしまった。本当は100枚位のポストカードを集めるつもりだったのが、アメリカ中のアンティークショップの協力に歯止めが利かなくなってしまった結果の数である。
せっかく集まった滝のポストカードを、このまま仕舞い込んでしまうのは勿体ないと思い、ポストカードの供養のつもりで展示したいと思ったのがインスタレーションの初めである。
話は飛ぶが、マルセル・デュシャンの「遺作」の中に滝のテクナメーション写真が展示されているが、この滝は、フランスのローザンヌ近くの滝である。その滝のある田舎の農家を舞台に、世界中からデュシャンの「遺作」にまつわる作品が集められ一ヶ所で展示するという企画に、僕の滝のポストカードが選ばれて出品することになった。現地に行くことはできなかったが、実にスケールの大きい企画であった。この滝のポストカードのインスタレーションは、ボストン美術館でも展示される予定だったが、展示場所が現地の消防法に引っかかるということで、断念せざるを得なかった。
本展の展示作品を選択したのは作家の僕であるが、作品の良し悪しとは別に、長年の創作活動を通して、忘れ難い作品や、他者の評価とは別に、自分の気に入った作品などを展示したが、結果的に自伝的要素が強くなったように思う。
僕は自分の作品を趣味として捉えている。作品を通して社会に何かをアピールするとか、プロパガンダ的な目的とか、そうした外部への関心よりもむしろ内的世界の確立を目的とする傾向が強いように思われる。
そういう意味では自我が出ざるを得ない。その結果、私小説的世界に落ち込む危険性だけは避けたいと思っている。レンブラントのように「私」を描くことで「私」を超克して、普遍的世界の表現へと上昇させる技術と能力は、常に僕の憧憬の対象でもある。いかなる作品も「私」から出発する。つまり「個人」から出発して、「個」という普遍に到達しなければならない。
冒頭の「自我自損」は「個人」が「個」になり得ない状態を言っているのである。これは一種の悟りであり、そう簡単に普遍的な自己を得ることはできない。絵を描くということは、絵を描くことによって、一種の宗教的境地に達することである。しかし社会は、芸術の目的は他にあると考えている。簡単にいうと、芸術は社会的意識の変革を目的にしているところがある。宗教的という個人的な人間の内部へ与える影響より、むしろ社会的機能を目的とするところにこそ、芸術の本流があるとしている。
僕は自分の創作を社会への還元と考えたことがない。では、なぜ絵を描くのか、と問われた時は、それは人のためでも、社会のためでもない、絵に霊感を送ってくれた、その源泉のための奉納であると考えている。
本展では、このような僕の気持ちがどれほど伝わったかわからない。ただ胸襟を開いて、感じるままを受け入れてもらえばそれで十分だと思う。
美術家 横尾 忠則
1936年兵庫県生まれ。ニューヨーク近代美術館、パリのカルティエ財団現代美術館など世界各国で個展を開催。旭日小綬章、朝日賞、高松宮殿下記念世界文化賞受賞。令和2年度 東京都名誉都民顕彰ほか受賞・受章多数。2022年3月に小説「原郷の森」(文藝春秋社)が刊行された。横尾忠則現代美術館にて「満満腹腹満腹」展開催中(〜5月7日)
横尾忠則現代美術館
https://ytmoca.jp/