2012年
10月号
神戸経済同友会 顧問 小泉製麻株式会社取締役社長  植村 武雄さん(写真左) 「海船港」筆者 上川 庄二郎さん(写真右)

「海船港」連載100回記念対談 神戸港から瀬戸内クルーズを!

カテゴリ:神戸, 経済人

神戸経済同友会 顧問 小泉製麻株式会社取締役社長 植村 武雄さん × 「海船港」筆者 上川 庄二郎さん
足掛け10年、108回連載してきた上川庄二郎さんの「海船港」が9月号でひとまず終了しました。瀬戸内への熱い思いを親交の深い植村武雄さんとともに語っていただきました。

「フライ&クルーズ」を神戸空港開港時に提唱

―そもそもお二人の出会いは。
植村 私は運輸省(現国土交通省)にいましたので、空港対策室長の上川さんのことは存じ上げていました。神戸へ帰って来て、お付き合いただくようになりましたが、色々なアイディアをお持ちで、神戸のために強い信念を持って突き進んでおられる大先輩の上川さんには多くのことを教えていただきました。
―上川さんは飛行機好きだったのですか。
上川 いやいや、私は元々、鉄道ファンです。〝鉄ちゃん〟というのでしょうか、内田百閒という随筆家が、「なんにも用事はないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思ふ」と言って乗って楽しんでいた類です(笑)。
植村 上川さんはたまたま空港対策室長でしたが、空に限らずハードとソフトも含めた交通インフラがまちづくりの基本だというしっかりした考えを持っておられます。そして紆余曲折があったものの平成一八年二月に神戸空港が無事開港しました。神戸経済同友会としてメッセージを発信するに当たり、空港を起爆剤として新しい産業を興そうという観点から「フライ&クルーズ」を提唱しました。神戸港を拠点に国内クルーズ産業を振興しようというものでした。何故、そうなったかといえば上川さんのお陰。私はクルーズなどしたことがなかったですから(笑)。当時、クルーズなどというのは、お金持ちでヒマのある人向けの特別なものと思ってましたからね。
―上川さんがクルーズ産業を勧めたのですね。
上川 ものを造らなくなった日本で、貨物港が全く不要とまでは言いませんが、少なくとも神戸の基幹産業にしようという時代ではない。神戸港を神戸らしい港に造り変えるには、運ぶのは物から人に変わらなくてはいけない。そんな持論を植村さんが覚えていてくださったのでしょう。
植村 第二次産業の比率が低くなってきた日本経済の中で、また、新興国が目覚しい発展を遂げる中で、日本の港がかつてのような物流のハブ港などというのはもう無理なのではないかという基本的な認識があって、旅客船、瀬戸内クルーズ…と話が進んできました。

瀬戸内海の自然と時間を楽しむテストクルーズが大成功

―そして、「せとうち・感動体験クルーズ」に至るのですね。
植村 私なりに考え、上川さんと話しながら、二つの視点を入れた提言を出そうということになりました。一つは経済効果です。クルーズは単なる運輸業ではありません。船の上にリゾートホテルが乗っかっていますから、造船業、建築業、海運業、旅行業、更にホテル業とそれに付随してコンベンション、エンタテイメント、飲食等々、非常に裾野の広い産業が関わります。瀬戸内の環境を守るために専用のエコシップでということも提言で強調しました。 もう一つが、言いっぱなしでは悔しいからフィージビリティ・スタディの視点から、できれば実際にテストクルーズをしようということになりました。上川さんの熱意が実って、同友会主催の「せとうち・感動体験クルーズ」が実行に移されることになりました。
上川 ところが、同友会も実行委員会も旅行業法の認定を受けた団体ではありませんから、実行に移すのはなかなか大変でした。そこで、私が卒業した高等学校の同窓会でチャータークルーズをした経験をお話して、同じようにしてはどうでしょうと提案しました。
植村 航路設定から船内イベント、寄港地エクスカーションまで全てを企画して、全船借り上げるのですから大変でした。当時の瀬戸内海は、クルーズ船が夜間に通り抜けて九州や沖縄方面へ向かう単なる通過海域でしたから、その瀬戸内海自体の魅力を楽しもうというのは画期的なものでした。
―どういうコースだったのですか。
植村 神戸港を出港して瀬戸田沖で碇泊してボートで島へ上がり、その次は高松港に寄港する二泊三日のコースでした。
―反響はどうでしたか。
植村 参加者がいなくて大赤字になったらどうしようと懸念していたのですが、経済界の忙しい方たちばかりにもかかわらず、ほとんどが奥様同伴で参加していただき満杯でした。忙しい経済人も船に乗ってしまえば、急いで帰るわけにもいかず、否が応でも自分の時間を持ちます。何か新しい発見があったのではないかと私は想像しています。
―今では瀬戸内クルーズは一般的になりましたね。
植村 私たちのテストクルーズの後、夜間に通り過ぎるだけでなく昼間の瀬戸内島めぐりを楽しむ船が非常に増え、旅行社の企画も増えたことは確かだと自負しています。今後は、同友会は一回だけのやりっ放し(笑)と言われないように上川さんと一緒に関係者がこぞって地道に努力しています。年末にはバージョンアップした瀬戸内海クルーズが実現します。
上川 11月29日から12月にかけて五泊六日の「にっぽん丸島めぐりin瀬戸内海クルーズ」が企画され売り出されています。
植村 神戸経済同友会もPRの協力などで後援しています。
―今後はどういう方向へ。
上川 瀬戸内海に面した107の市町村と11府県、国土交通省の地方機関が連携して振興を図る「瀬戸内・海の路ネットワーク推進協議会」があります。これとうまく協調して、資金を出し合い、船を所有する会社をつくり、船を運航する会社に貸す。こんな方法を実現できないかと考えています。
―実現には時間がかかりそうですね。
植村 今は需要をつくり出さなくてはならない時代です。海外クルーズにばかりにこだわらず、上川さんがおっしゃるように新しい形を提案して需要を創造していかなくてはね。
―さて、残念なことに神戸っ子での連載は一旦終わりますが、これから上川さんが目指すところは。
上川 「海船港」は文章だけでなく写真も必要ですから、もうネタ切れ。定期的にはちょっとしんどくなってきました。
―ではまたネタができた時には是非お願いします。
上川 こちらこそよろしくお願いします。
―創業明治23年、小泉製麻と神戸の関係には長くて深い縁があります。そのお話はまた別の機会に詳しくお伺いしたいと思います。

「海 船 港 連載100回達成記念」発行

神戸港を愛する上川庄二郎さんの連載エッセイが一冊に
 上川庄二郎さんが「月刊神戸っ子」に連載してきた『海 船 港』が、一冊になって、9月10日に出版された。2008年4月号から最新の2012年9月号掲載分に、連載がスタートした2003年当時の原稿の再録などを含む。
 神戸空港対策室長、定年後は関西学院大学非常勤講師などをつとめてきた上川さんが連載を始めたきっかけは、阪神・淡路大震災。「何としてもこの神戸を復興しなければならない、との思いが募り、明治の開港以来、世界に冠たる港湾都市として発展してきたこの神戸の〝まち〟を再生させるには、やはり〝みなと〟だ」と思い至ったという。特に「日本の西の海の玄関である神戸港から、その前庭である瀬戸内海。美しい自然があふれ外国人たちも絶賛した瀬戸内海クルーズの魅力を国内外に発信したい」と上川さん。
 本の中では、ライン河クルーズと瀬戸内海クルーズを比較したり、南極、グリーンランド、カムチャッカなどの旅行記、国境の島・対馬で起きている問題や神戸港・ハーバーランドの課題など、話題は多岐にわたる。
 兵庫倶楽部写友会に所属する上川さんによる、美しい海や自然、客船の写真も魅力のひとつ。

神戸経済同友会 顧問 小泉製麻株式会社取締役社長  植村 武雄さん(写真左) 「海船港」筆者 上川 庄二郎さん(写真右)


アメリカからやってきたSpirit of Oceanus。神戸港を日本の母港として瀬戸内海クルーズを中心に、FLY & CRUISEでアメリカ人を呼び込んだ。


神戸港開港140周年を祝って、〝KOBE帆船フェスタ2007〟が開催され、
2007年11月23日、6年振りに、日本丸、海王丸が揃い踏みで
セイルドリルを披露した。(ポートタワーからの俯瞰撮影)【2011年8月号掲載】


これから20分で地球一周のフライトに出かける上川さん夫妻
【2011年8月号掲載】


上川庄二郎(かみかわ しょうじろう)

神戸経済同友会特別会員
1935年生まれ。神戸大学卒業後、神戸市役所入庁。サンテレビジョン取締役(出向)、空港対策室長を経て、神戸市消防局長を最後に定年退職。2003年から月刊神戸っ子に『海船港』の連載をスタート。著書に「汽車の詩―国鉄全線乗りある記」、「ミクロネシアの自然と文化」など多数。

植村武雄(うえむら たけお)

神戸経済同友会顧問
小泉製麻株式会社取締役社長
1945年生まれ。東京大学法学部卒業後、運輸省(現国土交通省)入省。退職後、小泉製麻株式会社入社。1992年より取締役社長就任。神戸商工会議所常議員、在神戸バングラデシュ人民共和国名誉総領事など。

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