3月号
「神戸で落語を楽しむ」シリーズ 其の十 3月12日、いよいよ「四代 桂小文枝」襲名! 師匠が愛した名を受け継ぐ
落語家 桂 きん枝 さん
〝親孝行〟と思って襲名
─由緒ある「小文枝」を襲名する感想を。
きん枝 弟子入りしたとき、師匠(五代文枝)は「小文枝」でしたから、ある意味米朝を継ぐのと同じようなものですし、自分でいいのか?という思いはいまもあります。
─芸歴50年での襲名ですね。
きん枝 それは偶然で。2年前から話はあって、「喜んで」という訳にもいかずお断りしていたんですが、師匠の奥さんが「生きている間に小文枝という名ビラが見たい」と言わはって、これもまぁ〝親孝行〟かいなと思ってお受けしました。「文枝」を兄弟子(六代文枝)が継いだときに、「小文枝」はしばらく欠番やなと一門の者と話していたんですが、やっぱり奥さんの思いが強くて。師匠も「俺は小文枝でええねん」と、一門で3年くらいかけて文枝襲名をお願いしたいくらいですから。ひときわ「小文枝」に愛着を持ってはったんですよ。
─一方で「きん枝」という名前とお別れする訳ですが。
きん枝 50年近くずっと「きん枝」ですから愛着はあります。僕は本名を「立入」というんですが、入門当時のなんば花月の支配人が「立入やったら立入禁止で〝きんし〟という名前がおもろおまっせ」と師匠に言わはったんですよ。それまでも「錦枝」や「金枝」という名前はあったんですが、師匠がひらがなで「きん枝」という名前を考えて。ひらがなの名前はなんとなく色気があるんですよね。
入門50番目の争い?
─なぜ落語家になろうと。
きん枝 大阪の子ですから漫才とか新喜劇に憧れはありました。でも、落語のことは全く。当時は落語家が少なくて、入門したときは49人だったんですよ。僕は50番目やと思っていたんですけれど、桂南光くんが「僕が50番目ですから」と言いよった。師匠も含めた四天王のお師匠はんは、落語家を50人にしたいというのが夢やったみたいです。戦後10人をきって上方落語が滅びるといわれた時代もあったけど、50人になれば文化として残ると。だから50番目というのは非常に大事やったんですよ。南光くんと50番目の取り合いですわ(笑)。
─なぜ先代の文枝師匠を選んだのですか。
きん枝 当時はだいたい四天王の誰かに弟子入りするのですが、笑福亭松鶴師匠のところは1年間に4人も弟子入りしたんで、兄弟子が4人になります。この世界は縦社会ですから、4人に用事を言いつけられる(笑)。桂米朝師匠と桂春團治師匠は誰にきいてもきっちりしてはるということやから、俺に合わんなと(笑)。最後に残ったのがうちの師匠。それで、寄席に行ったんですが、師匠がやさしそうに見えたんですわ。どことなく芸人の雰囲気もあるし。もともと芸人に憧れていましたので。
─芸人志望なのになぜ落語を。
きん枝 噺家が一番楽に見えたんです。漫才は立ってやりますが、落語は座ってやる。動くわけでも走るわけでもない。そない長い時間やる訳でもないし。
─修行はいかがでしたか。
きん枝 師匠は「ええ弟子を育てても仕方がない。ええ噺家を育てないといけない」という考えなんですよ。ですから年季明け前でも地域寄席とかで依頼があったら出ろ、百ぺん稽古するよりも客の前で一回恥をかいた方が勉強になるからと。そういう人やったんです。
落語は究極の一人芝居
─落語の面白さはどこにあると思いますか。
きん枝 落語とは一人芝居だと思っていますから、自分でいかようにも考えられる。登場人物、演出、美術、みな自分の頭の中で考えられるんです。だから噺を覚えようと思ったら、登場人物を出してみて、こいつがどういう人間で、出てくる家の間取りを考えて、それで目線が変わりますからね。そうやって自分で世界を構築していくところが面白いですね。
─芝居ということは、演者になりきるものなのですか。
きん枝 それは難しいんですよ。人物がいっぱい出てくるから。役者は演じるのが一人だから、それをより深く掘り下げられるんですよね。だから役者は監督ともめるんですよ(笑)。我々はそこまで掘り下げない。ちょっとずついろいろ演じないといけないですから。その間にこいつがどういう人間かを少しずつ、ミルフィーユのように重ねていくようなもんやと思っています。
─自分でコントロールできるところも、落語の面白い部分かもしれませんね。
きん枝 若い間は余裕も何もないから、覚えたことを喋るだけでしたが、いまはそういうことがなくなりましたね。寄席なんかでもあらかじめネタを何本か用意して来るのではなく、僕は何も考えない。前のネタを見て、こんなの出てへんからやろかって。別に間違ってもええか、と(笑)。やはり歳なんでしょうかね。落語に歳が関係あるというのはこのことやろなと思います。ワインと一緒で自分の中でどんだけ熟成させるか。途中ガタガタせえへんかったらオチが来て終わるんですから。
─師匠の落語は大阪弁も描写も自然ですよね。
きん枝 大阪の生まれですし、落語の世界と相通じるところで育ちましたから。うちなんかも長屋でしたしね。そういう世界が肌に染みていますから。
ぜひぷらっと喜楽館へ
─新開地界隈とはどのような接点がありますか。
きん枝 吉本なので新開地の松竹座で演じたことはありませんが、恋雅亭など神戸での落語会を主催している人と師匠が懇意だったもので、兵庫駅の近くのそろばん塾で噺したことあります。あと、サンテレビが多聞通の角にあったんでそこへはよく来ましたね。
─喜楽館設立にあたり、当時は上方落語協会副会長で担当責任者だったそうですが。
きん枝 繁昌亭設立時は噺家全員の悲願でしたから反対する者がいませんでしたが、2つ目の会館となると1つ目の方も守らないといけないんですよね。意見が分かれたんです。それが一番しんどかったです。結局は協会員の投票で決まった訳です。
─喜楽館ができて、落語家の活躍の場が増えましたね。
きん枝 僕らの時代の噺家は劇場のありがたさを身に染みてわかっているんです。昔は自分で会場を探して、お客をよんで、お金の計算して、すごい労力だったんですよ。いまは繁昌亭と喜楽館という建物があって、世間様より安い貸し館料でこんな立派な劇場を使える。しかし、それ以降に入った人間はそういう環境があって当然ですから、そのあたりにギャップを感じますね。若い人たちには繁昌亭や喜楽館をもうちょっと大事にして、いかに守るか、繋ぐかを考えてもらわないと困ります。
─喜楽館での喋り心地はいかがですか。
きん枝 やりやすいですよ、繁昌亭よりやりやすいんちゃうかな。ほぼ同じ寸法なんですが。お客さんも温かいですよね。
─でも、もう少しお客さんに来てもらいたいですよね。
きん枝 そうですね。いかにアナウンスしていくかが課題ですね。繁昌亭設立時、我々執行部は「スターが出なくてもお客さんが来るように」と考えました。そうじゃないと続かないですから。ですから提灯を下げた外観とか、いろいろな仕掛けを考えたんです。喜楽館もそういう具合にひとつ何かあったらええんちゃうかと思いますね。神戸のみなさまにも喜楽館へぷらっと来ていただきたいですね。肩肘張らずに、買い物帰りに下駄履きで結構、寄席ってもともとそういうものですから。
─改めて、小文枝としての意気込みを。
きん枝 意気込みはないんです。もう70歳近いのに意気込んでいたら、息詰まりまっせ!私、若い頃からそんなにガツガツ生きてまへんねん、見てわかりますように(笑)。
神戸新開地・喜楽館 きん枝改メ 四代 桂小文枝 襲名披露公演
2019年3月25日(月)~31日(日)
昼席14:00開演
料金(全席指定)
前売 2,500円/当日 3,000円
3月25日(月)
林家 染八/桂 きん太郎/桂 枝女太/ラッキー舞(太神楽)/桂 文珍/仲入り
口上/桂 春若/きん枝改メ四代 桂小文枝
3月26日(火)
桂 米輝/桂 きん太郎/桂 枝女太/ラッキー舞(太神楽)/桂 春團治/仲入り
口上/桂 米團治/きん枝改メ四代 桂小文枝
3月27日(水)
林家 染八/桂 きん太郎/桂 枝女太/ラッキー舞(太神楽)/笑福亭 仁智/仲入り
口上/桂 文福/きん枝改メ四代 桂小文枝
3月28日(木)
林家 染八/桂 きん太郎/桂 枝女太/ラッキー舞(太神楽)/桂 ざこば/仲入り
口上/笑福亭 松枝/きん枝改メ四代 桂小文枝
3月29日(金)
林家 染八/桂 きん太郎/桂 枝女太/ラッキー舞(太神楽)/桂 福團治/仲入り
口上/桂 文太/きん枝改メ/四代 桂小文枝
3月30日(土)
林家 染八/桂 きん太郎/桂 枝女太/ラッキー舞(太神楽)/月亭 八方/仲入り
口上/笑福亭 福笑/きん枝改メ四代 桂小文枝
3月31日(日)
桂 三語/桂 きん太郎/桂 枝女太/ラッキー舞(太神楽)/桂 文枝/仲入り
口上/桂 雀三郎/きん枝改メ四代 桂小文枝
神戸新開地・喜楽館 (新開地まちづくりNPO)
TEL.078-576-1218
新開地駅下車徒歩約2分
(新開地商店街本通りアーケード)