1月号
西宮のえべっさんへ行こう
十日えびすで親しまれている〝西宮のえべっさん〟。新年も初詣で賑わう。初詣・十日えびす、西宮神社の歴史など、吉井宮司にお聞きした。
―西宮神社の年明け行事とは。
吉井 元旦午前零時に初太鼓が打ち鳴らされます。その15分前に開門して参拝者はご本殿までゆっくり進みますので、皆さんよく御存じの十日戎の開門神事とはかなり趣が違います。午前6時から始まる「歳旦祭」で新年を祝います。えびす様といえば十日えびすですが、近年は地元の氏神様としてお参りいただくことも多くなり、十日えびすの約半分、正月三が日で約40万人の人出で賑わいます。
―何故、西宮にえびす様が鎮座されているのですか。
吉井 西宮のえびす様は神戸・和田岬の沖から出現され、鳴尾の漁師の網に一度ならず、二度もひっかかったとか。漁師は、何かは分からぬが大切なものと思いお祀りしていたところ、えびす様が夢枕に立ち「私をここより西に祀って下さい」と。驚いた漁師が輿に載せ、現在鎮座されている場所に運んだところ、えびす様は「私が一番祀って欲しかった場所です」とおっしゃたという言い伝えがあります。その言い伝えに基づいて、西宮神社からご神体を船にお乗せして和田岬までお連れするというお祭りが、平安時代末の史料に記されています。
―西宮の地名の由来は鳴尾の西で「西宮」なのですか。
吉井 そのほかにも諸説あります。京の都から見て西、大阪の住吉大社から見て西、現在の今津津門にあった大きな港が栄えていた頃にその西だから西宮…、これといった定説はないようです。
―西宮には山手に廣田神社がありますが、関係はあるのですか。
吉井 廣田神社は1800年ほど昔、神功皇后の時代にお祀りされた非常に歴史と由緒のある神社です。その浜の宮が西宮神社ですので、廣田神社と西宮神社、そしてもう一社の南宮社を合わせて大きな意味で一つの神社でした。江戸時代までは、一人の神主が三社をお祀りしていました。
―全国のえびす神社には2つの系統があるそうですね。
吉井 皆さんにとっては、鯛を持った福の神・えびす様をお祀りしているのがえびす神社ですが、一つは「蛭子命」を信仰している神社です。総本社がここ西宮神社で、兵庫の柳原蛭子神社もそれです。もう一つは出雲の神様の「事代主神」を信仰しています。長田神社や大阪の今宮戎神社などがそれで、総本社として出雲の「美保神社」があります。数は少ないのですが、海の向こうからやってきた「少彦名神」もえびす様としての信仰があります。どの神様にも共通しているのは「海」です。えびす様は海の向こうから幸福をもたらしにやって来られた神様なのです。ですから商売をされる方だけでなく、漁業関係者からの信仰も厚いのです。
―えびす信仰を全国に広げたのは西宮神社だそうですね。
吉井 えびす信仰が全国に広まったのは、室町時代から江戸時代初頭にかけてです。近世になって西宮神社から急激に広まった理由は、人形あやつりが全国を回ったこと。住居を持たず得意な芸を持って全国を回った集団・傀儡師が次第に大きな神社の近くに定住するようになります。そんな中でも勢いが良かったのが西宮神社の傍に定住した傀儡師でした。芸の一つが、首からぶら下げた箱の中に入れた人形を出してあやつる芸です。普段は神社に奉仕しながら、時期が来たら人形を持って全国へ出かけて行きますが、えびす様のお姿を描いたお札を配りながら「西宮にはえびす様がおられる」と知らせたのでしょうね。
―その芸が文楽のルーツですか。
吉井 安土桃山時代に人気の高かった西宮の人形あやつりが、京都で浄瑠璃語りと一緒になって人形浄瑠璃が生まれ、淡路に伝わります。江戸時代になると、植村文楽軒が淡路から大阪に人形浄瑠璃を持ち込み、それが文楽につながりました。ところが明治初頭には、ルーツになった西宮の人形あやつりは消えてしまいました。そこでまた最近、商店街の皆さんが中心になって「戎座人形芝居館」を作り復活させようと頑張っておられます。
―十日えびすの発祥は。
吉井 安土桃山時代、ある武将が正月十日、西宮で戦に負けた。何故かというと、「居籠り」という神聖な日に戦を始めたためと記録に残っています。この日は、えびす様が白い馬に乗って氏子町内を巡行する日で、お顔を見るなど畏れ多く、神社は神門を閉ざし、街の人も門を閉じて外に出ず、じっと家に籠ります。そして夜が明けて参拝に来るのが開門神事の始まりです。
―歴史のある西宮神社ですが、街の発展にも関わってきたのですね。
吉井 古くからえびす様が西宮の街の中心だったことは確かですが、灘五郷の一つ西宮郷の造り酒屋さんをはじめ、地域の皆さんに支えられた氏神様が西宮神社です。
―お参りや散策のほか、西宮神社会館も市民に親しまれていますね。
吉井 えびす様は福の神ですから、この福を皆さんにも授かっていただこうと、昭和60年に開設しました。結婚式と披露宴、直会やその他色々な会合にも広くご利用いただいています。
―関西学院との共同研究は順調ですか。
吉井 本殿復興50年記念事業の一つとして歴代宮司の日誌を活字化した「西宮神社 御社用日記」を2年に1巻のペースで完成する予定です。今年3月は第2巻が出る予定ですが、最終巻までには今後40~50年はかかると思います。元禄七年から始まる当社の日誌は多彩な内容で、話題は広く全国にわたり、当時の世相や生活がよく分かる非常に興味深くおもしろいものです。
―地元の氏神様でもあり、全国的にも力を持った神社だったのですね。この本は、私たちにも楽しめそうですか。
吉井 今のところは研究者向けのものですが、その成果が今後一般の方の目に触れる機会も出てくるのではないかと思っています。
―さて新年ということで、吉井宮司の抱負をお聞かせください。
吉井 今の世の中は不安感がいっぱいです。こういった時こそ神社は、古くから人々がどういった気持ちで神様を信仰しお祀りしていたのかを振り返り、先人たちの知恵を皆さんにお伝えしたいと考えています。
―えびす様は親しみを持てる神様ですから適役ですね。是非よろしくお願いします。
吉井 良昭(よしい よしあき)
西宮神社宮司
1951年兵庫県西宮市に生まれる。1974年國學院大学文学部史学科卒業、1975年國學院大學神道学専攻科修了。1975年福岡県津屋崎町 宮地嶽神社奉職。1978年奈良県奈良市春日大社権禰宜。1983年兵庫県西宮市西宮神社禰宜。2004年兵庫県西宮市西宮神社宮司、現在に至る。