12月号
触媒のうた 34
―宮崎修二朗翁の話をもとに―
出石アカル
題字 ・ 六車明峰
詩人、小野十三郎(1903年~1996年)は「異郷」「終着駅」など神戸に材を取った作品もあるが大阪の人である。戦時中に発表した詩集『大阪』『風景詩抄』が戦争に対するレジスタンスを滲ませていて話題になった。それはそれまでの日本の詩のイメージから大きく離れた詩集だった。また、戦後「奴隷の韻律」論で短歌的抒情を徹底的に批判した人としても知られる。その後、田辺聖子などを育てた大阪文学学校を1954年に創設し1991年まで校長を務めた。
今回はその小野さんと宮崎翁のエピソード。小野さんの人となりの一端を知る上で貴重な話だと思う。
「小野さんとは三週間ほど三回に分けて旅行したことがあります。東京の千趣会からの依頼で、1971年のことでした」
当時、千趣会から『文学の旅』というシリーズが刊行されており、小野さんと宮崎翁はその「山陰」の巻を任され、小野さんが本文を、解説を宮崎翁が担当されている。カラー写真もふんだんに取り入れられた大型豪華本である。景気のいい時代だったんですね。ギャラもしっかり出たとおっしゃる。この旅のことは、後に朝日新聞社から出た小野さんの『自伝・空想旅行』の「わがユートピア紀行」の項にも詳しく取り入れられている。その一部。
―発つ前に、全行程を同行してくれた宮崎修二朗さんに一つ私の希望を述べた。彼は、長らく神戸新聞の記者をやっていた関係から、山陰地方も足跡あまねく、生き字引といっていいほど明るい男で、この山陰の文学遺蹟めぐりも、行き先はすべて彼に一任することにしたが、このわれわれの旅では、もし時間があったら、文学にゆかりのある土地でも、あまり人に知られていないところへ案内してほしい、君なら知っているだろうと言ったのである。そして、私のこの希望はかなえられた。―
その道中でのことである。
「丹後半島から中原中也の山口市までチャーターした車で、奥様もご一緒でした。彼は世俗のことに全く頓着のない人でね、身の回りの世話は奥様が焼いておられました。ある時こんなことがありました。旅館の階段の上り口で、ぼうっと立って上を向いておられるんです。そして首をひねっておられる。『上がられへん』と。見たら、足にスリッパの束を着けておられたんです。玄関先に何足かを長く束ねて置いてあるスリッパにそのまま足を突っ込んでね。そりゃ上がれませんよね。ホントに世間知らずの人でした。元々おぼっちゃんでしたからねえ」
いかにも珍道中といった感じだ。
「大阪の心斎橋に文人が集まる喫茶店がありましたが、小野さんも毎晩のように行っておられました。そこのマスターが小野さんのことをお気に入りでね、この取材旅行の時に高級シャツをプレゼントされました。小野さんはそれを着ての旅行でした。ところがね、彼はメモを取るのに鉛筆ではないんです。マジックインキと大型のスケッチブック。それはいいんですけど使った後、胸のポケットに入れてね、ふと見たら、胸が真っ黒に染まってて。キャップが閉まってなかったんですね。それにはまだ続きがあってね、二度目の旅行の時にはまた新しいシャツをプレゼントしてもらわれました。ところが今度は、車の中で変な臭いがするなあと思ったら、小野さんの胸から煙が上がってるんですよ。火のついた煙草を無意識にポケットに入れておられたんです。「小野さんっ!それっ!」と言ったら、のんびりした声で「あら~」と慌てもしない。ホントにお人好しといった感じの人でしたねえ。偉そうにもせず、へりくだりもしない、いかにも人のいいおっちゃんといった感じでした。仕事を一緒にしようとは思わないけど、人間的魅力はありましたねえ。だれからも愛される人でした」
この旅行の成果の『文学の旅 山陰』には、山陰に関する文人の名前と作品名が無数に出てくる。しかし小野さんは、「…も有名らしい」「…であるそうだ」「…と友人は言った」などあいまいな表現を度々使っておられる。特に「友人が…」という言葉は頻繁に出てくる。どうもこれは、みな宮崎翁からのアドバイスによるものと解してよさそうだ。
「一気に回るんじゃあなく、間に休みを挟んだのは、途中で小野さんに勉強をして頂くためでもありました。でも彼には歴史と文学についての興味がなかったんですねえ」
そんな中でわたしは、次のような記述に心温まる思いがする。
―朝、食堂に行くと、先に行って待っていてくれた友人(※宮崎翁のこと)が、二つくらいのかわいい赤ちゃんを抱いてしきりにあやしている。そしてそのそばのテーブルで、お母さんらしい若い婦人が食事をしていた。お母さんが食事をする間、わが心やさしき友は、だだをこねる赤ちゃんのお守を買って出たのであった。―
いかにも宮崎翁らしいエピソードだ。「文学の旅」という書物には縁のないような話だが、この文章をこの本に取り入れた小野十三郎はやはり詩人だ。
■出石アカル(いずし・あかる)
一九四三年兵庫県生まれ。「風媒花」「火曜日」同人。兵庫県現代詩協会会員。詩集「コーヒーカップの耳」(編集工房ノア刊)にて、二〇〇二年度第三十一回ブルーメール賞文学部門受賞。