2月号
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近代建築の巨匠、フランク・ロイド・ライトを学ぶ|Chapter 9 近代建築の三大巨匠 |平尾工務店
平尾工務店がお届けする「オーガニックハウス」の基本的な理念や意匠を編み出した世界的建築家、フランク・ロイド・ライトについて、キーワードごとに綴っていきます。
近代になると工業化により鉄鋼、コンクリート、ガラスなどが建材として普及するようになってきます。これらの素材を用い、ゴシックやバロックといった様式に縛られずに合理性や機能性を重んじつつ、時には進歩した構法を採用して建設された建物がいわゆる近代建築です。その設計で手腕を発揮した3人の偉大な建築家こそ近代建築の三大巨匠で、フランク・ロイド・ライトもその1人に挙げられていますが、今回はほかの2人、ミース・ファン・デル・ローエとル・コルビュジェを中心にご紹介しましょう。
ミースは1886年ドイツ生まれ。室内装飾から建築の道に入り、27歳の頃ベルリンで独立。現代のオフィスビル建築のベースとなる「骨と外皮の構造」を発案し、代表作のバルセロナ・パビリオンを発表するなど実績を重ね、1930年に美術学校、バウハウスの校長に就任します。しかし、同校がナチスの圧力で閉鎖されるとアメリカへ亡命、1969年に亡くなるまでシカゴを拠点とし、ファンズワース邸やシーグラムビルなど多くの設計やデザインを手がけました。
コルビュジェは1887年スイス生まれ。美術学校で彫刻を学ぶも教師に勧められ17歳にしてファレ邸を設計し、その後研鑽を積んで30歳の頃にパリで独立、「近代建築の五原則」を提唱してサヴォア邸やロンシャン礼拝堂などでそれを体現するとともに、前川國男、吉阪隆正、坂倉準三といった日本人建築家の育成にも貢献しています。その業績は社会的にも影響を与え、1965年に亡くなると国葬がおこなわれました。
ライトはミースやコルビュジエより約20歳年上で、少し世代が違います。ライトとの接点ですが、ミースはシカゴにいたため親交があり、はじめてタリアセンを訪ねたときは直々に案内されたとか。一方のコルビュジェは交流がほぼなかったそうですが、初期の作品にプレイリースタイルの影響が窺えるなど、少なからずライトの影響を受けているようです。
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イラスト/米田 明夫
FRANK LLOYD WRIGHT
フランク・ロイド・ライト
1867年にアメリカで生まれたフランク・ロイド・ライトは、91歳で亡くなるまでの約70年間、精力的に数々の建築を手がけてきました。日本における彼の作品としては、帝国ホテルやヨドコウ迎賓館、自由学園明日館が有名です。彼が設計した住宅のすばらしさは、建築後100年経っても人が住み続けていることからわかります。
これは、彼が生涯をかけて唱え続けてきた「有機的建築」が、長年を経ても色褪せないことの証明でしょう。フランク・ロイド・ライトが提唱する「有機的建築」は、無機質になりがちな現代において、より人間的な豊かさを提供してくれる建築思想なのです。