2月号
神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~(58)後編 東山魁夷
絶望から見えた一筋の道…救ったのは神戸の自然
相次ぐ試練
「自分は絶対に画家にはなれない…」。日本画壇の巨匠、東山魁夷は、ずっとそう思い続けながら青少年時代、神戸で暮らしていた。
両親は不仲で父の事業はうまくいっていない。「気の毒な母を、なお悲しませるわけにはいかない」と魁夷は画家への思いを断っていた。「こんな環境でなぜ自分が画家になれるものか」と夢を封印していたのだ。
自伝「わが遍歴の山河」(新潮社版)には、魁夷の苦悩、葛藤が赤裸々に綴られている。だが、大学進学を前に、彼は決意する。
《それでも、画家になりたい気持が強くなって、中学校を終える頃漸く美術学校を受ける決心をしました。父は反対でしたが結局、「身体の弱い子だから仕方がない。まあ、棄てたようなものだ」と遂にあきらめたわけです》
後に世界的画家にのぼり詰める、まだ10代の我が子に対し、実の父が、「まあ、棄てたようなものだ」と言い放つ…。不幸な話だがそのおかげで魁夷は無事、東京芸術大学に進学するのだから運命は皮肉だ。
不利な環境に抗いながら彼が画家になることは宿命だったのだろう。
だが、彼の逆境はまだ続いた。
《私の欧州滞在は、父の病気と云う出来事の為、なお一カ年の留学期間を残して打ち切ることになりました》
芸大卒業後、交換留学制度で魁夷はドイツへ渡るが、途中で神戸へと引き返す。彼を待ち受けていたのは、父の病気に加えて、父が商売で作った多額の借金だった。
《私はやりきれなくなって、自然の懐の中へ飛び込んで行き、私にとって最も親しい山々や樹々に話しかけ、そこに束の間の安息と慰めを見出すのでした》
魁夷は故郷・神戸の自然に身を置くことで心を落ち着かせた。幼い頃、自室に引きこもっていた彼の心を解放してくれたあの神戸の自然がその後も彼の心を支え続けていたのだ。
《私は、自然の中へ常に入って行ったものの、心を鏡のようにするには、まだまだ多くの試練を経なければなりませんでした》
更なる不幸が魁夷に重くのしかかってくる。
弟のために描くマリア像
1940年、魁夷は、画家、川﨑小虎(しょうこ)の長女、すみと結婚するが、まだ彼女と顔を合わせる前に、義理の父母となる小虎夫妻にあいさつに出向く。
そこで彼は実家の窮状を包み隠さずに伝える。そのときの様子が、こう記されている。
《母親の方は一寸心配そうな顔付をしたように思えましたが、父親の方は一向平気で、「借金なんて絵描きにはどうでもいいことだよ。又、今のその生活、もう十年位続けないと、ものにならないね」とあっさりしています》
結婚を断られる覚悟で、父の多額の借金などを素直に打ち明ける魁夷といい、こんな苦境を聞かされても、「もっと苦しめ」と魁夷に言い放ち、娘を嫁に出す小虎といい、大画家となる人間のものの考え方、生きざまは豪放磊落で肝が座っているとしかいいようがない。それも並外れたレベルで…。
無事に魁夷とすみは結婚するのだが、その後も苦労は続いた。結婚2年後に魁夷の父が多額の借金を残したまま死去。3年後、母も亡くなり、さらに弟が重病を患う。
追い打ちをかけるように、画家への一歩を踏み出すために日展第一回に応募した作品が落選…。そこへ「弟危篤」の報せが入る。
魁夷は弟が入院する富山の療養所へ向かう。
《私は持って行った紙にいろんな絵を描いて弟の寝ているところから見える壁にピンで止めてやると、マリアの像も描いてくれと云うので、どうにか聖母に見える絵も描きました。「花園のようだ」と弟はそれらの絵をしげしげと見ていました》
弟は最期に兄に絵を描いてくれとせがんだ。
魁夷はどんな思いで、これらの絵を描いたのだろうか。一週間後、弟は亡くなる。
《母の骨を納めたばかりの墓に弟のを納め、これで私の喜びを一番親身になって喜び、私の悲しみを最も深く悲しんでくれる肉親は一人もいなくなったことを思いました》
魁夷は弟のために病室で一心不乱に絵を描いた。現在も多くの人が、美術館などで展示されている彼の大作を観て、その類まれなる画家としての才能、技術、偉大さを知るが、弟のためだけに、病室で一人、絵画を描いていた名もなき若き画家、魁夷がいたのだ…。
その姿を想像すると、なぜ彼の絵は観る者の心を魅了し、郷愁を呼び覚ますのか。その理由の源泉に少しだけ辿り着けた思いがした。
《私はこの時どん底に堕ちこんでいました。然し、もうこれ以上落ちようがないと云う意識は、私にとって一つの時代の終結を意味することに気づきました》
絶望のどん底で、魁夷は己をこう鼓舞する。
《全てが無くなってしまった私は、又、今生れ出たのに等しい。これからは清澄な目で自然を見ることが出来るだろう》と。
そして、彼は立ち上がる。
《腰を落着けて制作に全力を注ぐことが出来るだろう。又そうあらねばならない。こう考えた時に、私の眼前におぼろげながら一筋の道が続いているのを見出すのでした》
この後、魁夷の画家としての快進撃が始まる。一筋の道は、やがて画家の王道となる。
人生のどん底を知り、魁夷は未踏の道を切り拓いていく。そして〝清澄な目〟で人々を魅了する風景画家としての道を歩んでいく。
=終わり。次回は作家、車谷長吉。
(戸津井康之)