2月号
有馬温泉歴史人物帖 〜其の拾壱〜 大弐三位(だいにのさんみ)999?~1082?
今年は家康に代わって、紫式部が某局の日曜の夜の主役でございますな。彼女が仕えた藤原彰子の父でドラマでも重要な役どころの藤原道長は、1024年に有馬温泉に浸かっております。また、有馬にはムラサキシキブという植物が自生しているんですよ。
そして、紫式部には一人娘がおりました。その人こそ藤原賢子こと大弐三位。母娘揃って歌才文才に秀で、俳優なら伊藤蘭さんと趣里さん、馬ならばアパパネとアカイトリノムスメみたいな感じでしょう。歌人として活躍した大弐三位の代表作と言えば、百人一首58番。
有馬山猪名の笹原風吹けば
いでそよ人を 忘れやはする
これが有馬を詠んだ和歌の中で一番有名で、女優の有馬稲子さんのお名前もこの歌からきているそうですね。また、後にこの歌をオマージュした歌が続々と詠まれているので、有馬にとってはいい宣伝にもなったのではないでしょうか。
紫式部は20ほど歳上の藤原宣孝に言い寄られると父=藤原為時の赴任先の越前へ行き距離をおいて考えるなど恋に慎重でしたが、対照的に大弐三位は恋愛巧者だったそうで、その点はちょい不良オヤジの父、宣孝ゆずりかもしれません。そんな一面が「有馬山…」の歌にも見え隠れ。この歌はしばらく会いに来なかった男が「もしかしてオレのこと忘れちゃってる?チョー不安なんだけど」とぬかしてきたことに対する返事で、「有馬山近くの猪名の笹原に風が吹くと笹が音を立てるように、そよそよ=そうよそうよ、忘れる訳ないじゃん。君の方こそアタシのこと忘れてない?」と男にプレッシャーをかけ自分を有利な立場に持っていき、あわよくばバーキンの1つでも貢がせようかという魂胆がありそう。要はこの歌において有馬は…どーでもいいのです。
で、恋多き大弐三位はまず藤原兼隆と結婚、後に別れて高階成章と再婚します。キャリアでは1017年頃に母の後任として彰子に仕え、1025年からは親仁親王=後の後冷泉天皇の乳母となりました。この時代にしては長寿で、充実した人生だったようですね。
ところで勘の良い方はお気づきかと思いますが、大弐三位が詠んだのは有馬といっても「温泉」じゃなくて「山」。そもそも彼女自身が有馬に来たという記録もございません。ですけど勘弁してやってください。と言うのも、彼女と成章との間に生まれた息子、高階為家が仕えた白河法皇が1128年に有馬を訪ね、それに随行した為家の娘の子、つまり大弐三位のひ孫にあたる源資賢がその際、ひいばあさんに代わりこのように「温泉」を詠んでいますから。
めずらしき御幸を
三輪の神ならば
しるし有馬のいでゆなるべし
※本稿に登場する人物の呼称は諸説あります。