2月号
連載 教えて 多田先生! ニュートリノと宇宙のはじまり|〜第8回〜
「物理学最大の謎」
宇宙のはじまりとは―。最初に存在した最も基本的な物質、つまり素粒子を組み上げて恒星や銀河系をつくり、宇宙は出来上がったと考えられています。素粒子のひとつニュートリノを研究することで、なぜ宇宙の始まりが解明できるのか、この連載で素粒子物理学者の多田将先生に教えていただきます。
前回は、反物質についてお話ししました。そこでは、宇宙に存在するあらゆる物質は対生成によって生まれた、と言いました。しかし、そうなると、おおきな疑問が浮かんできます。「では、反物質はどこに行ったのか?」という疑問です。今回はそれについて考えてみましょう。
反物質がSFっぽく思えるのは、それが身近にないからです。我々の身近に反物質があると、物質と反応して対消滅を起こし莫大なエネルギーを発生させますから、すぐにわかります。なお、一グラムの反物質が一グラムの物質と対消滅を起こすときに発生するエネルギーは一八〇テラジュールで、広島に投下された原子爆弾の核出力の二・七倍です。
では反物質が地球ではない宇宙のどこかにあるのかというと、それも観測によって否定されています。宇宙には、物質だけがたくさんあって、反物質はほとんどないのです。もちろん、我々が実験装置でつくり出せるように、天体の様々な活動によって生み出されはしますが、それは宇宙全体の物質の量よりはるかに少ない上に、我々の身の回りにある物質のように宇宙の初期に大量につくられたものとは明らかに異なります。
物質と反物質が対生成でしか生まれない以上、少なくとも現在の物質の量と同じだけの反物質が、ある段階では存在したはずです。その反物質はどこに消えたのでしょうか。
ここで、興味深い観測結果があります。現在の宇宙における、光と物質の比です。これは、光:物質が、一〇億:一であることがわかっています。これは何を意味するのでしょうか。現在のところ、宇宙の初期には物質と反物質が一〇億一個と一〇億個の比で存在して、うち一〇億ペアが対消滅を起こして一〇億の光となり、そのペアに対して一個の物質が残った、と考えられています。その「残りもの」が、現在の宇宙の様々な物体を構成する物質なのです。つまり我々は「ペアになれなかった残りもの」なのです! なんと残酷な話でしょうか…
今のところ、それが宇宙初期のシナリオだと考えられていますが(それ以外考えられないため)、ここでも大きな問題があります。すべての物質と反物質が対生成によって生まれたなら、その数は厳密にまったく同じはずであって、一〇億分の一のアンバランスさえも許されない、ということです。生まれた瞬間は絶対に同じ数でなければならないのです。そしてそのあとで何らかの仕組みで一〇億分の一のアンバランスが生じた、ということです。
ところで話は変わりますが、現在、日本の人口は、男女それぞれいくらぐらいだと思いますか。ぐぐってみると、二〇二二年一〇月一日の時点で、男性六〇七六万人、女性六四一九万人と、女性のほうが六パーセントも多いです。一方、出生数だと、ここ何十年間も、男性のほうが女性よりも五から六パーセントも多いのです。なぜ、男性のほうが多く生まれているのに、人口比率では女性のほうが多くなるのでしょうか。これに対する答えはわりとかんたんで、「女性のほうが寿命が長いから」です。
だとしたら、物質と反物質(粒子と反粒子)のアンバランスの問題も、これで解決するのではないでしょうか。つまり、「粒子と反粒子は同じ数だけ生まれるが、反粒子のほうが寿命が短いので、反粒子のほうが粒子よりも少なくなった」というわけです。粒子(物質)が生まれるには対生成しかありませんが、消える場合には、第5回と第6回でお話ししたように、自然に崩壊して、別の粒子に変わる場合もあります。この考えは魅力的で、ほんの少しでも寿命が違えば、一〇億分の一のアンバランスなど容易につくれそうな気がします。
ところが事はそうかんたんではありません。それは、前回、第7回でお話ししたように、粒子と反粒子は、「同じものを逆の立場で見ているに過ぎないので、ちょうど正反対になっている」からです。「BさんがAさんに貸したお金」と、「AさんがBさんから借りたお金」が違っていたら、それは揉め事になりますよ。
ですから、ごくわずかな寿命の違いであっても、そこには、それを説明する、なんらかの仕組みが必要となってくるのです。でもこの問題は必ず解決しなければなりません。物質と反物質が全く同じ数のままだったら、すべてのペアが対消滅してしまって、我々はじめ宇宙に物質は何も残らなくなってしまうからです。この問題は、宇宙が物質だけなのはなぜか、言い換えれば、「我々はなぜ存在しているのか」に関わる問題ですので、物理学最大の謎とされています。次回は、その謎についてもう少し深く考えてみましょう。
PROFILE
多田 将 (ただ しょう)
1970年、大阪府生まれ。京都大学理学研究科博士課程修了。理学博士。京都大学化学研究所非常勤講師を経て、現在、高エネルギー加速器研究機構・素粒子原子核研究所、准教授。加速器を用いたニュートリノの研究を行う。著書に『すごい実験 高校生にもわかる素粒子物理の最前線』『すごい宇宙講義』『宇宙のはじまり』『ミリタリーテクノロジーの物理学〈核兵器〉』『ニュートリノ もっとも身近で、もっとも謎の物質』(すべてイースト・プレス)がある。