2024年
1月号
1月号
連載コラム 「球友再会」 |Vol.9
野球の仕事に携われて幸せだった
脚本家・放送作家 林禧男さん
あの日あの頃、いつの時代も白球のそばにはドラマがある。
このコーナーでは京阪神の野球にまつわる様々なエピソードをご紹介します。
文・写真/岡力<コラムニスト>
「本業とは少し異なりますが野球に関する事は色々やったなぁ」と振り返るのは脚本家の林禧男さん。1939年、岡山県高梁市出身。中学時代から野球を始め明治大学に進学したが選手を断念した。当時、県人寮の相部屋で東京大学に通っていた先輩は後に日本のアニメ界を牽引する高畑勲だった。「よく映画館へ連れて行ってくれた。帰りは終電がなくなり夜道を歩きながら感想を熱弁する姿が印象的だった」。それを機に活動屋を志すようになり宝塚映画へ入社。「演出希望だったが脚本部に配属となった。そこで出会ったのが藤本義一。人生で偉大な先輩に2度も恵まれラッキーだった」。その後、フリーとなり映画『男三匹やったるでぇ』(松竹)、テレビ『まぼろし城』を始め数多くの作品を手掛けた。傍ら力を入れたのがプロ野球の仕事。当時、阪急電鉄が発行する『The Braves』の編集を務め『ブレーブスアワー』(関西テレビ)やライバル球団の応援番組『近鉄バファローズアワー』(ラジオ大阪)まで担当した。選手とも交流を深め昨年、逝去したロベルト・バルボン(阪急―近鉄)は引退後に自身がキャプテンを務める草野球チームで共に汗を流した。「以前、藤本さんが企画したトークショーで少年時代になりたかった職業の衣装で来るように言われユニホームで登壇した(笑)」。結果的に「憧れ」はグラウンドとは違いメディアの世界で花開いた。