8月号
連載エッセイ/喫茶店の書斎から87 ヒイジイサン
店の本棚にズラリと並んでいるシリーズ本がある。
『ひょうご現代詩集』16冊。
兵庫県現代詩協会が発行する会員のアンソロジーだ。
その中の最新号、16集(2023年3月発行)に興味深い詩が載っていた。恥ずかしながらわたしの作品も掲載されているのだが、これは明石市の八田光代さんの詩。ご本人のお許しを得て紹介する。
ヒイジイサン
野口雨情作詩の童謡
「赤い靴」の
一番の歌詞
赤い靴はいてた
女の子
異人さんに連れられて
行っちゃった
この中の/異人さんというところを/ヒイジイサンと覚えていた子がいて/ずっとそう歌ってた と/最近は/異人さんは死語になったのか/長寿社会になって/ヒイジイサンが/そこここに大勢いて/ヒイジイサンの方が/イジンサンより/一般的になったのか
我がつれあいは
八十五歳
もうすぐ
ヒイジイサンに
なる
これを読んでハタと思い当る話があった。
わたしの妻が言っていたこと。
やはり童謡で「船頭さん」(竹内俊子作詞)を子どものころ間違って歌っていたのだと。
童謡の歌詞の思い違いはよくあることで、
「うさぎ追いし」を「うさぎ美味し」。「どんぐりコロコロどんぶりこ」を「…どんぐりこ」。「ゆきやこんこ」を「ゆきやこんこん」など枚挙にいとまがない。
そこで妻の「船頭さん」だが、
「年はとってもお船をこぐ時は元気いっぱいろがしなる」とあるところを、「…元気いっぱいこがしなる」と歌っていたのだと。
「櫓がしなる」を「漕がしなる」と。
これにはわけがある。
妻は兵庫県北部、但馬の出石が故郷である。「漕がしなる」は方言なのだ。
例えば但馬では、大阪弁でいうところの「嘘つかはる」は「嘘つきなる」、「流さはる」は「流しなる」、「探さはる」は「探しなる」となる。
だから「櫓がしなる」を聞き間違えて、船を漕ぐという意味で「こがしなる」と覚えたのだ。
この話を聞いた時は、妻には申し訳ないが大笑いをしてしまった。方言で間違うなんてと。
しかし「こがしなる」という言葉はおかしい。これを大阪弁で「こがさはる」とは言わない。文法上間違っている。当時は子どもだったので不思議に思わなかったのだろう。
ところでこの「船頭さん」については、以前本誌に書いたことがある。2003年4月号。
連載エッセイ「コーヒーカップの耳」の中でこんな風に。
《コーヒーを淹れながら、なんの脈絡もなく口をついて出た童謡がある。
「村の渡しの船頭さんは今年六十の…」
そのあとである。「おじいさん」と続くのだ。
えっ!と思ってしまった。実はわたし、今年誕生日が来れば満60歳である。しかしまだ孫はいない。
さらに、「年はとってもお船をこぐ時は元気いっぱいろがしなる」。
ちょっとショックだった。この歌では60歳はすでにかなりのご老体である。船をこぐ時だけ元気になるのだ。わたしにその自覚はまったくなかった》。
これを書いたのは丁度20年前。
ということは、もうすぐやってくるわたしの誕生日には80歳である。時は流れて孫は五人いる。立派なオジイサンだ。やがてヒイジイサンになる日も近いだろう。
六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。
今村欣史(いまむら・きんじ)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。西宮芸術文化協会会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)ほか。