8月号
神戸で始まって 神戸で終る ㊶
現代美術を完全にエンターテーメントにしてしまった。そして、大成功にさせてしまった。
まあ、こんなことをやるのは横尾忠則現代美術館ぐらいで、他所の美術館は「怖がって」やろうとはしないでしょうね。誰がなんと言うだろうと、批判を恐れて手をつけません。他者の批判を恐れる以前に、先ず作家が怖がるにきまっている。だからやめとこということになるが、ここの美術館の学芸員は、作家の僕を全く恐れていない。つまり、礼節に欠けているとしか思えない。そして作家がむしろ喜ぶだろうと思って、怖々ではなく、喜々として、こんな計画を立てました、とプレゼンテーションをしてきた。
そこで作家の僕は、「お前ら、なめてんのか!俺の神聖な芸術をなんと心得とる!」と怒るべきなのかもしれないが、当の作家の僕は学芸員と一緒になって、面白がって喜んでいるのだから、タチが悪いというか、学芸員にとっては良き理解者である。
とにかく、この第28回展『横尾忠則の恐怖の館』(担当・山本淳夫)は、今までの最高入場者数を誇った『開館記念展Ⅰ 反反復復反復』に次ぐ、歴代2位の入場者数を記録したというのだから、大ヒット展ということで、担当の山本さんは鼻高々である。何だったら、『恐怖の館』の第二弾をやったら、と言いたいところである。それとも一層のこと、美術館名を『横尾忠則恐怖の館』と改名してもいいですよ。
世の中には怖いもの見たさの怖がり愛好者がうんとこさ、いるというわけだ。つまり、目には見えないが、この現実世界は恐怖で満たされているのである。毎日の新聞紙面やテレビのワイドショーから飛び込んでくるニュースは、戦争だ、事件だ、殺人だ、自然破壊だ、と常にわれわれの日常は目に見えない恐怖に脅かされている。そんな恐怖の現実に遭遇する前に、恐怖のシミュレーションを体験して、本当の恐怖に直面した時、少しは緩和されておきたいという、そんな心理が、恐怖を先取りしておきたいという心理に結びついて、こんな展覧会が受けたのではないでしょうか。
僕はこの展覧会を見るのが怖くて、実は見ていません。僕が怖いのは怪談的な恐怖ではなく、学芸員の想像力を恐れて、何をやらかしているのだろう、という無手勝流の企画を見るのが恐ろしくて見ないだけの話です。また、僕が見に行くと、何を言い出すかわからないことに怖気づいている学芸員の顔をみるのも怖いということもあります。
まあ、冗談はさておき、担当の山本さんは僕の作品の中から恐怖を暗示する作品をかき集めて、それをお化け屋敷のような空間というか、環境を設定して、おどろおどろしい場面を各所に流出することで、これでもか、これでもか、と観客を手玉にとって、いちかばちかの捨て身の演出をヤケクソでやってみた。ところが想像に反してというか、想像通りに若い女学生などをギャーギャー言わせる悪趣味な展覧会を、どうせ横尾さんは見にこないにきまっている、知るもんか、やってまえと、血液型B型山本学芸員は今までA型のようにネコをかぶっていたその仮面を剥いで、本性を現したというわけです。
頭で考えた発想ではなく、肉体で感じとった発想でないとこのような展覧会は中々実現しません。世間の常識に従った発想は、確かに安心だし、誰も文句は言わない。むしろ批判を恐れずにやりたいことをやった結果が、この『恐怖の館』展です。実際、観客の中にはあまりの恐怖のために腰を抜かす者も出たそうです。見たかったねえ。
地元の劇団員に出演してもらって、「悲鳴」、「高笑い」、「うめき声」を録音して、特定のポイントに差し掛かると、これらの「声」や、暗闇の中から恐怖的な絵が突如照らし出され、その迫真さに腰を抜かしたというわけです。
また展示室全体を廃墟化して、かつて、はるか昔に忘れ去られた美術館があったと仮定して、その禁断の扉を開けたらそこに出現したものは?「ああ怖!」
このヒット展は毎年、お盆の霊が戻ってくる時期にやってみたらどうでしょう。よく地方の温泉地などにあるおどろおどろした前近代的なお化け屋敷より、はるかに、知的(これを知的といっていいのだろうか)な恐怖の芸術屋敷の再現をぜひ期待したいところです。
美術家 横尾 忠則
1936年兵庫県生まれ。ニューヨーク近代美術館、パリのカルティエ財団現代美術館など世界各国で個展を開催。旭日小綬章、朝日賞、高松宮殿下記念世界文化賞、東京都名誉都民顕彰、日本芸術院会員。著書に小説『ぶるうらんど』(泉鏡花文学賞)、『言葉を離れる』(講談社エッセイ賞)、小説『原郷の森』ほか多数。横尾忠則現代美術館にて「原郷の森」開催中(~8月27日)
横尾忠則現代美術館
https://ytmoca.jp/