3月号
風に吹かれた手紙のように|松本 隆|Vol.5
喫茶店で話すラジオ番組みたいな2人のおしゃべり。
ラジオを聴くように読んでほしい。
meme 櫻の季節ですね。先月、大村雅朗メモリアルライブで槇原敬之さんが歌う『櫻の園』を聴きました。
松 本 思い出深い曲でね。大村君からテープを預かっていたの。綺麗なメロディで、いいなと思ってたんだけど、すぐには書けなかった。ちょうどアウトプットを休んでいた時期でね。大村君が亡くなってからになってしまった。櫻の下で彼が手を振っている姿が見えたらいいなと思って書いたの。
meme 大切な人を想いながら聴いた人も多かったと思います。
松 本 供養ってそういうことなんだろうね。櫻の下にそれぞれの大切な人が見えてたらいいと思う。縁のある人たちが集まるのもよかったよ。大村君も会場に来てた気がした。
大村君の音楽は、ある時代のひとつの文化だった。それがメディアの地層の中に埋もれていくのが、僕は嫌だった。
ライブの音楽監督を務めた亀田誠治、佐橋佳幸は、駆け出しの頃に大村君の音楽があって、彼らはその影響を受けて今、音楽界の最前線にいる。音楽には血脈があってね、いったんばらまかれると見えなくなる。でも血の流れって確かにあるの。ジョン・レノン、ポール・マッカートニーがいて、彼らに影響を受けた僕ら世代がいて、次の世代に続いているっていう流れがね。それって美しいと思う。
スタジオミュージシャンとかアレンジャーっていう職業がぼやけていて、正当に評価されていないこともよくなかった。
昔ね、バンドって、バンドメンバーが演奏してると思ってたの。その頃アメリカには、レッキング・クルーっていうスタジオミュージシャンの集団がいてね、ものすごく上手いプロ集団。モンキーズもビーチ・ボーイズもザ・バーズも、当時流行ってた曲の多くが、実は彼らの演奏だったの。“サウンドを作る”プロフェッショナルがいたってこと。そんなこと全然知らなかった。その頃のレコードはノンクレジットだったから、レッキング・クルーは誰も知らない影の存在みたいなもんだったの。
アレンジャーもそう。『みずいろの雨』は大村君が上京して初めて手掛けた曲で、いきなりミリオンセラーになったけど、世の中じゃ「八神純子はスゴイ」になってた。僕は同じ場所にいたから、大村君のこと「カッコいい人が現れたな」って思ったし、僕のまわりでもすごい才能だと話題になってた。でもアレンジャーの名前は世に出なかった。“サウンドを作る”人たちは見えなかった。
はっぴいえんどの後、細野(晴臣)さんは、“サウンドを作る”ミュージシャンを集めて動いたし、僕は僕で詞を書いて、それが内容的にもセールス的にも結びついたのは大滝詠一。時代は少しずつだけど動いているんだよね。
meme そんな時代にいながら、亀田さんは大村さんの曲をジャケット買いならぬ、クレジット買いをしていたと話してましたね。松本さんはクレジット買いしていました?
松 本 もちろん。ソウルを聴いてた頃があってね、僕が好きなソウルはみんなギャンブル&ハフが作ってたの。後にサウンド・オブ・フィラデルフィアって言われる流れを作ったプロデューサーチーム。途中から誰が歌ってるかはあまり関係なくなって、クレジットばっか追ったよ。大滝さんはフィル・スペクターが好きで影響を受けてた。フィルとエリー・グリニッチがプロデュースしたのが、ザ・ロネッツ「Be My Baby」。シャングリラスにもエリーの曲があるし、デイヴ・クラーク・ファイブの僕が好きな曲もエリーが作ってたって最近知って懐かしくなった。
そういうことって知ると面白いでしょ。好きな曲を同じ人が作っていたり、同じ人が演奏していたりするかもしれない。今ってサブスクリプションで音楽が聴けるからいいね。最新のランキング関係なく、新旧ごっちゃでいい音楽が聴けるんだから。