3月号
神戸で始まって 神戸で終る ㊱
開館10周年記念として「満満腹腹満腹」展が横尾忠則現代美術館で目下開催中(5月7日まで)。
2021年の開館以来、様々な角度から僕の作品を編集しながら、30本の展覧会を開催してきました。10年前の開館記念展「反反腹腹反復」展のタイトルのセルフパロディーでもある本展に過去30本の展覧会を限界まで詰め込んだ、正に満腹展であります。キュレイターは山本淳夫さん。
10年前の開館時には、まさか10年後まで寿命があるとは思っていなかっただけに、われながら、よく体がもっているなぁというのが正直な驚きです。現在86才で、本展が終了する1ヵ月後には87才を迎える。もともと子どもの頃から虚弱体質で、幼児の頃は無事に育たないのではないかと医師は言っていたそうです。僕の養父母は、69才、74才で死去しているので、僕の86才は驚異であると我ながら驚いています。
昨年7月に、突然、急性心筋梗塞に襲われた時は一巻の終わりかなと思ったが、なんとか死にそこなって生還してきました。だから本展は、僕にとっては死にそこない記念展ということです。「満満腹腹満腹」展は観賞者の気分を唄った展覧会名だけれど、僕の側からすれば、やっぱり「死にそこない」展ということになるのかと思います。作品というのは生きていた時の執念の記録みたいなもので、本展はそういう意味で、作品の幽霊展みたいなものであります。そう思ってみると、また別の見え方がすると思います。
「まぁぎょーさん描いて死にはったんやなぁ」と思って見ていただいて結構です。まぁ、生存中の遺作展みたいなものです。作品と言うのは作家が描いている時間だけが生きているもので、完成と同時に作家の肉体から離脱してあの世にいくものです。作品というのは、ある意味で作家の死産児みたいなものだと思っています。よく、「作品を生む」という言い方をしますが、僕は一種の堕胎児だと思っています。特に僕の作品は未熟のまま堕胎されたものです。
僕の作品の背景というか背後には常に死がつきまとっています。それは作品自身の死の記録だからです。だけど作品は不思議なもので、作家から離れると生き始めるともいいます。そういうとそうですね。つまりこういうことではないでしょうか。作品が完成(または未完)するということは、この現世の死を経験したあと、あの世で再び生まれるということかもしれません。作家の手を離れた瞬間、作品はいったん死んで、そして、死と同時に生きかえるのです。つまり死という異次元で作品は生き始めるのです。
ですから、皆様は展覧会場で作品の幽霊を見ているのです。幽霊というのは執念のかたまりです。作家がキャンバスに塗りこめた執念、怖い言い方をすると怨念です。キャンバスの中には様々な恨みつらみが生息しています。怖いんですよ、作品というのは。時には作品が観る人にとりつきます。また大勢の人にとりついた作品ほど名画になります。ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」などはその典型的な例です。そして大勢の人々の想念をうけた作品は、今度は人格をもち始めます。観る人は、その作品のもつ人格にとりつかれるのです。芸術が色んな人に様々な影響を与えるということはそういうことです。
小説と違って、絵は頭で見たり考えたりするものではありません。小説は頭の作用ですが、絵は肉体の作用です。だから、絵は観る人の魂に語り掛け、その人を大きく成長させたり向上させたりします。そう思って作品と対峙してください。そういう意味では、絵は宗教的な力があります。小説は観念の世界で思想的な影響はあるかも知れませんが、絵は魂という人間の本性に語りかけます。そこが宗教的なのかも知れません。滝に打たれたり、座禅をしたり、お経をあげたり、写経をしなくても、絵をジッと眺めるだけで魂を悟らせます。だからできるだけ絵と対峙する時間を長く持ってください。
今回の「満満腹腹満腹」展は、僕の86年の魂の遍歴が、言葉を越えて、言葉にならないものを語っています。言葉になるものは知性です。知性も必要ですが、もっとそれ以上に必要なのは言葉でも語れない霊性です。霊性とは魂の声です。絵は知識や思想を越えています。知識や思想はいくら頑張っても神にはなりません。神を内在しているのは芸術作品です。だから芸術は人生の必需品です。芸術に触れる時間をできるだけ沢山もつ生活をしてください。そんな入口が「満満腹腹満腹」展になればと思います。
この展覧会については、横尾忠則現代美術館が発信しているHPを見てください。そこには、学芸員の苦労話が面白おかしく掲載されています。学芸員も最初はコチコチだったのですが、10年も経つと軟体動物みたいにフニャフニャの肉体と精神になって、逆に作家の僕より暴走することがあります。暴走というのは遊びのことです。遊びのできない人生は生きる価値がありません。当館の学芸員は、いい意味も悪い意味も関係なく遊びの天才集団です。
美術、芸術は何もムズカシイものでもカタイものでもありません。精神を軟体動物にしてくれます。まあ、頭もお腹も空っぽにしてぜひ当館に遊びに来てください。間違いなく皆様の満腹に期待できると思います。
では、また来月!
美術家 横尾 忠則
1936年兵庫県生まれ。ニューヨーク近代美術館、パリのカルティエ財団現代美術館など世界各国で個展を開催。旭日小綬章、朝日賞、高松宮殿下記念世界文化賞受賞。令和2年度 東京都名誉都民顕彰ほか受賞・受章多数。2022年3月に小説「原郷の森」(文藝春秋社)が刊行された。横尾忠則現代美術館にて「満満腹腹満腹」展開催中(〜5月7日)
横尾忠則現代美術館
https://ytmoca.jp/