6月号
映画をかんがえる | vol.15 | 井筒 和幸
1978年は、「普通の女の子になりたい」と言った少し年下のアイドル3人娘、キャンディーズが後楽園球場で最後のコンサートをして解散した年だ。無職者のボクは仲間らと2作目の小さな成人向け映画を企画しながら、もう普通の人生には戻れそうにないなと思っていた。
その初夏、東京の配給会社に企画を売り込みに上京したついでに観たのが、『ローリング・サンダー』(78年)だった。国鉄の夜行バスであんまり寝ていなくて売り込みもうまくいかなかった所為か、気分がすぐれなかった時だ。その年の初めにスピルバーグの『未知との遭遇』(78年)なんぞを観た所為もある。円盤や宇宙人に出くわすはずがないと思う者には恐ろしく退屈だった。そんなことも元から承知で観たのは女友達に誘われたからだ。おまけに、『北陸代理戦争』や『県警対組織暴力』と実録タッチで気を吐いていた深作欣二監督の、スペースオペラと謳った『宇宙からのメッセージ』(78年)という、タイトルからしてピントのズレた東映らしくないSFモノも評判が悪く、友人が前の年にアメリカで先に観ていた『スター・ウォーズ』(78年)の陳腐なモノマネだと言うので、「深作は何をしとんねん!」と観る気も失くなった矢先だった。そんな様々なストレスから、その『ローリング・サンダー』に狙いをつけて、気を晴らしに行ったのだ。
ベトナム戦争から帰還した兵士の後遺症モノが次々に封切られていた。主人公の空軍少佐もテキサス州のサンアントニオという田舎町へ帰ってくる。ウィリアム・ディヴェインというまったく知らない俳優だが、その心の病んだ表情に圧倒された。何年間もの捕虜生活で凄い拷問を受けたのか、鋭く険しい顔にすぐに同情できた。共に帰還した部下の伍長役のトミー・リー・ジョーンズという無名の新人も心に穴が空いた異様な感じが出ていて、邦画にこんな自然体の役者はいないなと思った。2人は町の英雄として迎えられ、千枚の銀貨と赤いキャデラックを贈られる。少佐は家に帰るが、妻は長い年月を待ちきれずに新しい男とデキてしまっていて、一人息子もなつかなくなってしまう。ある日、銀貨のニュースを知ったメキシコ人の強盗団が押し入り、母と息子は射殺され、少佐も片手をぐちゃぐちゃに砕かれてしまう。この酷い運命に、ボクは両手両足があっても思うようにいかない自分を重ねてしまい、主人公と一緒に「光る稲妻」となって早く悪党どもをやっつけに行きたくなった。付けた義手で銃に弾を込める練習をする場面も忘れられない。凄まじい復讐劇が待っていた。観た後、ボクも少し心が軽くなったのか、また出直そうと東京駅から夜行バスに飛び乗っていた。主人公の心が分かる孤独なウエイトレスの女がいい。ボクもそんな人を求めていたのだが。
夏になるとテレビで、 サザンオールスターズというバンドが『勝手にシンドバッド』をがなっていた。ボクはその調子良さが判らなかったが、代わりに、アメリカのザ・バンドの解散コンサートを記録した『ラスト・ワルツ』(78年)に孤独を慰めてもらえた。あんな最高に切ない音楽モノは初めてだ。24時間テレビの「愛は地球を救う」という番組も現れた頃だ。テレビ娯楽に邦画は駆逐されそうだった。
9月になると、マックィーンの『ブリット』(68年)以来のスリリングなカーチェイス映画『ザ・ドライバー』(78年)に出会った。これも拾い物だった。主演はライアン・オニール。あの甘い顔立ちから一転して、夜のロサンゼルスを駆け抜ける無口なアウトローを初めて演じた。ノータイで黒い背広姿が粋だった。役名もドライバーだ。銀行強盗の逃走を助ける彼を追うディテクティブ(刑事)、強盗、密告屋、イタチ野郎、そして、美女のプレイヤー(賭博師)、絡む市井の徒たちが全員、渾名で登場した。誰もが孤独を生きていた。自分も一緒だなと安心した。映画という娯楽芸術、いや、有り体に言えば、気を取り直す装置と向き合えただけでもうれしかった。
PROFILE
井筒 和幸
1952年奈良県生まれ。奈良県奈良高等学校在学中から映画製作を開始。8mm映画『オレたちに明日はない』、卒業後に16mm『戦争を知らんガキ』を製作。1981年『ガキ帝国』で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降、『みゆき』『二代目はクリスチャン』『犬死にせしもの』『宇宙の法則』『突然炎のごとく』『岸和田少年愚連隊』『のど自慢』『ゲロッパ!』『パッチギ!』など、様々な社会派エンターテイメント作品を作り続けている。映画『無頼』セルDVD、2021年11月25日発売。