6月号
神戸で始まって 神戸で終る ㉘
第16回展「ヨコオ・ワールド・ツアー」展の概要を学芸課長の山本淳夫は次のように解説する。
〈見聞きしたものを独自に変換し、編集して自身の作品に取り込む横尾忠則にとって、外国への旅はイマジネーションの宝庫であった。
1964年のヨーロッパ旅行以来、横尾は世界各国を訪れている。なかでも1967年のニューヨークは、横尾の作品と生き方に大きな影響を与えた。新しい時代の空気に魅了された横尾は、ヒッピー・カルチャーの洗礼を受け、クリシュナ寺院とロック三昧の4ヶ月を過ごす。そしてその経験が横尾をインドへ導き、1970年代のポップでスピリチュアルな作品を生み出すのである。また、グラフィックの世界で既に不動の地位を確立していた横尾が画家に転身したのも旅がきっかけである。1980年、ニューヨーク近代美術館で見たピカソ展が横尾の人生を大きく変えたのだ。
1970年代から横尾のグラフィック作品は国際的な評価を獲得して世界を巡るが、1980年代には絵画作品もまた国際展や個展を軸にして旅するようになる。そして、横尾自身も講演や審査、音楽や演劇のコラボレーション等、活動の幅を海外に拡げていく。
「旅」をキーワードに、作品と貴重な初出資料から横尾の「ワールド・ツアー」であると同時に「ヨコオ・ワールド」醸成の過程を巡るツアーとなった〉
生活と作品の変遷を旅を通して辿る「ヨコオ・ワールド・ツアー」は実に上手く考えた企画で、自分でも思いつかない発想にキュレーターの平林恵には思わず舌を巻いたのである。出不精で億劫な生活なのに、海外旅行の半分は一人旅であった。語学もできないのに、よく一人で旅をしたものだと、今では一人ではどこにも行けないのに、どうしてあんなに大胆になれたのか、どう考えても理解できない。一人旅は毎日が不安の連続である。にもかかわらず肉体を突き動かせたのは好奇心以外に考えられない。
本展覧会のカタログに掲載されている旅先での写真や日記などを見ながら、そこに写っている自分の写真はまるで他人のように、不思議な距離感がある。僕はこの「ヨコオ・ワールド・ツアー」のカタログを見るのが好きだ。本展担当の平林は以前にも「ヨコオ・マニアリスム」展を企画した学芸員で、彼女の探求心はまるで考古学者のようで、膨大な資料の中から、僕でさえ忘れているようなものまで発掘して、作品の背後に隠されている秘密まであぶり出して、僕をいつも驚愕させてくれる。
展示作品の背景の物語を悟ることで、無言のまま壁に掛けられている絵画作品をまるで演劇的に変えてしまう不思議な技法によって平林は作品を鑑賞者の手元に引き寄せることで親しみを与え、作品と大勢の間の距離を無化させてしまう。
この展覧会を見ながら、カタログを開くまで、こんなに面白い展覧会になるとは想像もしていなかった。この文章の最初に山本学芸課長が語っているように、僕と旅が、僕の人生と作品をここまで密接に結びつけているとは気づいていなかった。では僕にとっては旅は何だったのだろう。膠着した生活からの解放だったのだろうか。環境を一変することで生活も作品も新しい文脈の地点に立ちたいという、切実な願望であったのかもしれない。それには旅が僕にとっては一番手っとり早い手段であったような気がしたのだろう。
旅は何が起こるかわからない。僕の作品は無計画に近い。予定調和的にことが運ぶことで安心は得られるが、偶然の出会いによって思いもよらないことに出会う。
以前、三島由紀夫さんは僕のことをアプレゲールと呼んだ。アプレゲールとは、無計画的に行動する若者のことらしいが、三島さんは「横尾君のように無計画な人間は危なくてしょうがないよ」と言ったことがある。三島さんは、自らの行動の全てを計画的に行った。手帖にはその行動のひとつひとつがメモされていた。
僕に言わせると芸術の醍醐味は偶然というチャンスオペレーションによって生きる美学である。旅もそういう意味では偶然の連続で、ある意味では異次元への参入のような恐れを伴うが、その恐れが僕には創造の源泉になるのである。そう考えると、読書などの精神的な旅よりも肉体を伴った旅の方がはるかに刺激的である。
僕にとって変化のない日常はある意味で死である。常に変化を繰り返していなければ逆に落ち着かないのである。だから作風は常に変化している。従って、作品の主題も様式もない。そんなものは自分を縛り付けるものと考える。主題も様式もないのが自分のスタイルで、簡単に言えば、なんでもありである。やっていいことと、やっちゃいけないことの区別によって自由は得られることを僕の無意識は恐れているのかもしれない。
そう考えると旅そのものは破壊と創造のヒナ型のように思う。「旅は自分から離れる」と言った人がいたが、僕は、その自分から離れたいのである。自分から離れることを恐れることは自分の自我の中に自分を閉じ込めることではないだろうか。旅をすることで、どんどん自分から離れればいい。想像も同じ行為で、最初は自分から入り、やがて自分から離れて普遍的な自分になることである。旅はそんなことを肉体を通して学ぶチャンスである。
まあ、この展覧会をそんな視点から見ていただきたいが、すでに5年前に終わってしまった。いつか再び、形を変えてリバイバル展を計画してもらいたい。
美術家 横尾 忠則
1936年兵庫県生まれ。ニューヨーク近代美術館、パリのカルティエ財団現代美術館など世界各国で個展を開催。旭日小綬章、朝日賞、高松宮殿下記念世界文化賞受賞。令和2年度 東京都名誉都民顕彰ほか受賞・受章多数。
横尾忠則現代美術館にて開館10周年記念「横尾忠則 寒山拾得への道」展を開催中。3月に小説「原郷の森」(文藝春秋社)が刊行された。
http://www.tadanoriyokoo.com