5月号
harmony(はーもにぃ) Vol.39 誰かの靴を履いてみること
ブレディ・みかこ氏の著書「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」(新潮社刊)を読みました。著者はイギリスのブライトンに20年ほど住み、保育士、ライター、コラムニストという肩書きが書いてあります。アイルランド人の夫との間に14歳の長男がいます。この本はその長男が中学に通う様子を通して今のイギリス社会の模様を描いたものです。本の中に、当時11歳の長男の授業で期末試験に「エンパシーとは何か」という問題が出ます。著者は11歳の子どもにこんな試験問題が出ることに驚くのですが、多様な人種や階層の人間が混在する社会ではこの「エンパシー」を考えることは大変重要だと考えます。シンパシーとの違いに触れ、「シンパシーは誰かをかわいそうだと思う感情、誰かの問題を理解して気にかけていることを示すこと」であるが、エンパシーは「自分がその人の立場だったらどうだろうと想像することによって誰かの感情や経験を分かち合う能力」であることに気づきます。文章から引用すると「シンパシーの方はかわいそうな立場の人や問題を抱えた人、自分と似たような意見を持っている人々に対して人間の抱く感情のことだから、自分で努力をしなくても自然に出てくる。だが、エンパシーは違う。自分と違う理念や信念を持つ人や、別にかわいそうだとは思えない立場の人々が何を考えているのだろうと想像する力のことだ。シンパシーは感情的状態、エンパシーは知的作業と言えるかも知れない」と書いています。シンパシーは理解することであり、エンパシーは想像する力である、といえます。長男の先生は黒板に「EU離脱やテロリズムの問題や、世界中で起きているいろんな困難を乗り越えて行くには、自分とは違う立場の人々や自分と違う意見を持つ人々の気持ちを想像してみることが大事なこと、つまり、“他人の靴を履いてみること。これからはエンパシーの時代”」と説明をしました。
「自分で誰かの靴を履いてみる」というのは英語の定型表現で「他人の立場に立ってみる」という意味だそうです。多様性が尊重され、重視されるイギリスの社会だから、小学生にこんな試験問題が出るのでは、と思いたいところですが、エンパシーは日本でもどこの国でも必要な能力ではないかと思えます。
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