3月号
連載エッセイ/喫茶店の書斎から 58 看板の灯を落とす
今村 欣史
書 ・ 六車明峰
「喫茶・輪」がオープンしたのは1987年12月。33年前のことである。
今は家庭を持つ二人の子どもはまだ小学生と中学生、わたしも40代前半と若かった。
その時に作った詩。
「輪」
輪をつくろうか
小さな美しい輪ができたら
もっともっと輪をつくろうか
たくさんの小さな美しい輪ができたら
その輪を連ねて
大きな輪をつくろうか
美しい大きな輪ができたら
それをまた連ねて
もっともっと大きな輪をつくろうか。
そのオープンの日、12月6日のことはありありと思いだせる。店の周りにポインセチアの鉢を並べ、入り口には知人などから贈られた開店祝いの花が並んだ。空は晴れ上がっていて西風の強い寒い日だった。そんな中をたくさんのお客様が詰めかけてくださり、狭い店が一日中賑わっていた。
開店当初の席数はたったの10席。妻とパートさん一人でのスタート。わたしはまだ隣で米屋を営んでいた。米屋の斜陽化により不要になった隣接する倉庫を店舗に改造してのスタートだった。
ところが「輪」は、あっという間に手狭になり、米屋のスペースを二度にわたって侵食し、30席ほどに広がった。まさにわたしは、軒先を貸して母屋を盗られるという仕儀になったのだった。
わたしは米屋を廃業し、妻に雇ってもらうかたちで「輪」のマスターに収まった。それが1996年4月。
それからはママとしての妻とパートさん二人、そしてたまには娘が手伝ってくれるという忙しい日々が続いたが、やがてまた社会の情勢は大きく変わる。
2011年8月発行の詩集『喫茶・輪』の巻末には次のような詩を収めた。
深夜 厨房の排水口から かすかな音が聞こえてくる リ、リ、リ、リ、リ
細い糸をつなぐように
リ、リ、リ、リ、リ、リ、リ
長くやってきたものだ 元気な声が飛び交ったこのカウンターも 気づけば傷だらけだ あの人たちは どこへ行ってしまったのだろうか
そこに 今はもう一人二人のお客さまが 所在なげにひと時を過ごし 「ごちそうさま」の一声を残して出て行かれる その後ろ姿に ああ二十四年 と思う
「今日で退職します」「会社を変わります」 さらに 病を得て 鹿塩さん、村上さん、税所さん、高山さん、田淵さん、空さん、木富さん、上田さん、前田さん、藤田さん、… 一人また一人と旅立ってゆかれ 数えれば両の手の指にも余る
あのころは 去る人があっても 代わりに新しい常連さんが 次々とついたものだが わたしたちも老いて
喫茶店には そこのマスター、ママに合う客がつくというが わたしたちに合う人はもう わたしの髪の毛のように 気づけば少なくなっていたのだ
明日の準備をする厨房に
リ、リ、リ、リ、リ、リ、リ
遠くから秋の虫の声が聞こえる。
「喫茶・輪 Ⅱ」
この詩を作って一旦廃業宣言をしたのが約10年前。しかしその後も、「もうちょっとやってえな」の声に押されて、営業形態を変えながらやってきた。だけどもういいでしょう。昨年12月31日をもって「喫茶・輪」はコロナ禍の中、看板の灯を静かに落としました。33年間の営業でした。
ただし、いましばらくはこのスペースをこのままにしておき、コロナが収束すれば、喫茶ルーム「輪の会」とでも称して、気の合う者の集える場所にしたいと思っている。
■六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。
■今村欣史(いまむら・きんじ)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)ほか。