6月号
神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~②出光佐三後編
人のために尽くせ」 名は残さず魂を伝えた生涯
〝屈強な海賊〟出光佐三からのメッセージ
世界と戦う企業人
神戸で大学時代を過ごし、神戸市内の小さな商店で丁稚として修業後、日本を代表する企業、出光興産を一代で築きあげた出光佐三。彼を世界的に有名にした出来事として、1953年の日章丸事件が挙げられる。世界を揺るがすこの事件により、企業人としての彼の手腕が世に知られるところとなるが、一方、彼が文化人として、人知れず果たしてきた貢献がある。彼が生涯をかけて故郷・福岡県宗像市の宗像大社の再建に果たした功績や、地元の子供たちのために費やした、地味だが尊い教育活動を知る人はどれほどいるだろうか。
戦後、石油を自由に輸入できないことが、日本経済の発展を阻んでいる…。この状況を憂えていた出光は、石油市場を牛耳っていた英石油会社に戦いを挑む。英軍に海上封鎖される中、撃沈される危険を顧みず、神戸港から極秘でタンカーを出航し、イランから日本へ石油を持ち帰ったのだ。日章丸事件は、企業人としての出光の桁外れの行動力を物語るエピソードとして世界中に知れ渡った。
「出光の利益のために、イラン石油の輸入を決行したのではない。そのようなちっぽけな目的のために、50余名の乗組員の命と日章丸を危険にさらしたのではない。横暴な国際石油カルテルの支配に対抗し、消費者に安い石油を提供するために輸入したまでだ」
英石油会社から訴訟を起こされた彼は世界のメディアに向かって堂々とこう主張した。
映画「海賊とよばれた男」で日章丸が出航するシーンは印象深い。
出航後、岡田准一演じる国岡鐵造=出光佐三から、堤真一演じる日章丸船長へ連絡が入る。船長の顔に緊張が走る。船長は全乗員を集め、出光からの命令を決死の覚悟で伝える。
「今から我々はアバダン(イランの港)へ向かう!」
当時、暴挙ともいわれた出光のこの命懸けの英断により、石油カルテルの世界支配体制は変わっていくのだ。
語られない文化・教育への貢献
これまで書籍や映画では出光の企業人としての側面ばかりがクローズアップされてきたが、文化や教育面への貢献も計り知れない。
「出光さんがいなければ、宗像大社が世界文化遺産に登録されることはなかったでしょう」。宗像大社の神職が語ったこの言葉が強く印象に残っている。2017年、宗像大社は『「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群』として、世界文化遺産に登録された。
筆者の実家は宗像市にあり、宗像大社へは歩いて行ける。立派な本殿を構え、正月には全国から大勢の初詣客で賑わう日本有数の神社だが、かつてはそうではなかった。現在の宗像大社は出光が数十億円をかけて整備したもので、再建前の神社は廃れた雑木林の中にあった。
1885年、福岡県宗像郡赤間村(現在の宗像市)で生まれた出光は信心深く、宗像大社を幼い頃から崇敬していた。出光興産の東京本社にも宗像大社が祀られていた。
1937年、宗像大社を参拝した際、荒れ果てた状況を目の当たりにした彼は心を痛め、42年、「宗像神社復興期成会」を結成し、初代会長に就任。約30年かけて、私財数十億円を投じ、神社再建に尽力した。
彼はまず「宗像神社史」の編纂に着手。沖ノ島の学術調査によって出土した4~9世紀の宝器や祭器は国宝にも指定され、沖ノ島は「海の正倉院」と呼ばれ、一躍脚光を浴びる。
「もし、『宗像神社史』が編纂されていなかったら世界文化遺産の候補に選ばれることはなかった」と同神職は言い、こう続けた。「この調査で初めて日本の祈りの姿の原型が解明されたといわれています。彼が後世へ伝えた歴史的な遺産は語り尽くせないのです」
約80年の時を経て出光の悲願は実る。だが、その功績を知る者は地元でもそう多くはいない。
「名を残す必要はない」
「神社復興の功績を残すために、彼の名を記した記念碑建立を望んだのですが、彼は頑なにこれを拒否したため、神社のどこにも彼の名は遺されていません」と同神職は語った。
名を刻む碑はないが、神社内に三カ所、石に刻まれた出光の揮毫が残っている。沖津宮の分霊を祀る「第二宮」、中津宮の分霊を祀る「第三宮」の文字。そして二つの宮の前に置かれた手水鉢に書かれた「洗心」の文字。この三つの揮毫のみが、彼が神社復興に尽くした証しとしてひっそりと残されている。
彼の生家がある赤間地区では地元有志の高齢者たちが彼の功績を語り継ぐボランティア活動を続けている。
「赤間地区の小中学校の図書館など彼が故郷のために寄贈してくれた施設は多い。しかし、本人の意志で彼の名を記すものは残されていません。今の若い世代は彼の功績を知らない。私たちの手で後世へ伝えなければ」と高齢男性のボランティアは話した。
「自分に薄く、その余力をもって人のために尽くせ」。96歳でなくなるまで、生涯、出光はこの信念を実践し続けた。
たとえ記念碑でその名を残さなくとも、出光の魂は人々の心の中で伝承されていくだろう。
=次回は作家、横溝正史
戸津井康之