11月号
連載エッセイ/喫茶店の書斎から ㊷ 青春の一冊
今村 欣史
書 ・ 六車明峰
「ジーチの青春の一冊は?」と言う。わたしの最初の孫、滉、中学二年生14歳である。孫たちはわたしのことを「じいじ」ではなく「ジーチ」と呼ぶ。「ばあば」のことは「バーパ」だ。年寄り臭くなくて、これはいい呼び名だと思う。もちろん人前ではもうこんな呼び方はしない。でも内輪の時はいまだにこれだ。
少し前の話になるが、その滉の学校からの課題のこと。
保護者など身近な大人に、その人の「青春の一冊」を推薦してもらい、その本を読んでレポートを書くというもの。滉は私を選んだというわけだ。面白い企画だと思う。
わたしは迷いなく堀辰雄の「麦藁帽子」を推薦した。
偶然だが、この小説のことは本誌2016年9月号の本欄に「読書遍歴」と題して触れている。その部分。
《「麦藁帽子」という堀辰雄の短編小説。
そのころ「中二時代」とか「中三コース」という中学生向けの学習月刊誌があった。わたしは「コース」の方を購読していたが、それに載っていた小説「麦藁帽子」を読んで衝撃を受けた。いま思うと、それほど驚くような小説ではない。甘酸っぱい青春小説である。でも初めて大人の小説を読んだ気がした。印象に残る一行があった。「ただ麦藁帽子の、かすかに焦げる匂いがするきりで」
わたしにも多感な時期があったのだ。》
この小説の書き出しはこうである。
《私は十五だった。そしてお前は十三だった》
正に今の滉にぴったりだ。短編なので、ネットでも簡単に読めるが、やはり紙の本に当たるべきだと思い、本屋へ連れて行った。
元々読書好きの滉のこと、本屋通いは慣れたもので、通路に入って行ったかと思うと、すぐさま「有った」と言って一冊の文庫本を携えて出てきた。
帰宅して二人で読んだのだが、わたしは約60年ぶりである。そして愕然とした。内容をすっかり忘れていたのである。しかしながら、青春の入り口の精神状態の細やかな描写など、雰囲気はそのまま蘇ってきて、いい時間を持つことができた。
ただし、滉の心をひきつけた箇所は、当然でもあるがわたしとは違っていた。こんなことをレポートに書いている。
《この小説を読んでいて、僕は今回のレポートに書くのにピッタリだと思った。レポートの題は「青春の一冊」で、この小説もほとんど「私」の青春時代のことが書かれたものだったからだ。この小説の内容を簡単にまとめると、都会に住んでいる「私」が夏休みの度に好きなヒト(作中では「お前」とされている)に会いに田舎に行くというものだ。
この小説を紹介してくれた僕の祖父は、「ただ麦藁帽子の、かすかに焦げる匂いがするきりで」の一行に感銘を受けたと言っていたが、僕は「私」が田舎から帰る時の様子が彼の心情の変化をよく表していると思う。一度目は皆と一緒に、二度目は彼だけ先に、三度目は誰にも知らせず突然に。(略)》
わたしよりも余程しっかりと読みこんでいる。
この度のことは、わたしにとってもいい体験になった。以前はどの学校でも夏休みの課題として読書感想文があったものだが、最近では、やめる学校も増えていると聞く。それに費やす時間とエネルギーが、受験勉強の妨げになるというのだ。そんな馬鹿なことがあるものか!である。
滉が学校から持たされた、「推薦者の皆様へ」と題されたプリントを紹介しよう。敢えてほぼ全文。
《瞬間瞬間の面白みを反復し、大量消費する情勢がますます加速しつつある昨今、時間を要し、時に理解困難な読書という営みは人々から遠ざけられつつあるように感じます。「今・ここ」で理解できないこと、利益にならないことを切り捨てるのが合理的と勘違いされています。「いつか・どこか」で理解できる、タイムカプセルのような教養の種はいまや全く顧みられない類いの価値観なのかもしれません。だからこそ、いつか自らの「成長」を生徒諸君が感じられるように種を蒔いていきたいと思います。この度の課題が「何の役に立つか分からないから学ぶ」という学びの本質につながっていることをいつか感じてもらえればと思います。(略)》
滉はいい学校を選んだものだと思う。
■六車明峰(むぐるま・めいほう)
一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。
■今村欣史(いまむら・きんじ)
一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)ほか。