9月号
神戸に生まれた、日本初のゴルフ倶楽部「神戸ゴルフ倶楽部」
明治元年(1868)の神戸開港と共に、神戸に降り立った青年、A・H・グルーム。貿易商として成功したグルームは、ある日、六甲山の別荘で友人と雑談に興じていた。ゴルフの話に及んだとき、ふと誰かが「ここ(六甲山)でゴルフをしてみようじゃないか」と言った。ゴルフは未経験だったがスポーツが好きだったグルームは「やってみようじゃないか」と答えた。
彼のパイオニア精神とチャレンジ精神によって、すぐさま六甲山頂にゴルフ場に適した場所を探し出し、3年間の苦労の末、明治34年(1901)の秋最初の4ホールが作られた。このゴルフ場の噂は、瞬く間に広がり来場者が増加の一途をたどった。しかし、来場者が増えるにつれてコースの維持・管理に出費がかさみ、運営もグルーム一人の手に負えなくなり、また5つのホールを増設する計画などから会員を募ることになった。明治36年(1903)、135名の会員により、神戸ゴルフ倶楽部が創設されることになった。その会員には、川崎造船所(現・川崎重工業)の副社長を務めた川崎芳太郎をはじめ、7人の日本人が名を連ねた。
グルームは自ら六甲山を歩き回り、自費で植樹にも着手した。この植樹活動は、日本人に六甲山の自然への関心を高め、禿山だった六甲山の緑化活動を推進させたともいわれている。今日では、六甲山は避暑地として多くの別荘が立ち並び、多くの登山愛好家で賑わっている。グルームが当時から現在まで「六甲市長」「六甲山の開祖」と呼ばれている所以である。
神戸ゴルフ倶楽部には、「人に迷惑をかけない。質素で、家族的な雰囲気を大切にする」という創設当初から大切にされてきた伝統がある。ロッカーには鍵が設けられていない点からも会員間の信頼の高さを伺い知ることができる。また、芝生に散布する農薬の量も、県内のゴルフ場では最低レベルである。自然豊かな六甲山を愛したグルームの意志は、時代が変わってもしっかり受け継がれている。