12月号
神戸はなぜ 探偵小説が似合うのか 『探偵小説の街・神戸』を野村恒彦さんが出版
「神戸は探偵小説の街である。
古くから港町として開け、海外との交流も数多くあった。そのせいであろうか、海外の探偵小説に出会う機会も多かったに相違ない。そして、港町の開放的な気質から、それらを受け入れることも容易であっただろう。
(中略)
神戸にある旧外国人居留地や異人館などは、探偵小説の舞台として事欠かないだろうし、外国航路があった港町はいかにも魔都という名にふさわしい雰囲気を持っていただろう。」
(―まえがき― より)
探偵小説愛好会畸人郷(きじんきょう)を主宰し、自身でも探偵小説や書評などの著作のある野村恒彦さんが、探偵小説が大流行した戦前から戦後にかけての神戸や、神戸を舞台にした小説の紹介など、探偵小説と神戸のかかわりをまとめた『探偵小説の街・神戸』を出版した。
金田一耕助を生み出した作家・横溝正史は神戸の出身。本の中では、横溝のほか、西田政治、山本禾太郎(〜かたろう)、酒井嘉七、戸田巽、九鬼澹(くきたん)(すべて故人)など、戦前の探偵小説雑誌「ぷろふいる」の読者によって設立された神戸探偵倶楽部の活動や作家たちについても調べている。
「東京は別にして、神戸のような地方都市で、探偵小説愛好家がこんなに多いのは珍しい。私の学生時代には、外国人が持ち込んだのであろうミステリー小説のペーパーバッグが古書店によく並んでいたし、港町らしい外人バーや南京町といったところの路地裏の小道、そういったあやしい場所が“魔都”らしくて、探偵小説の舞台としてぴったりだったのかもしれません。魔都、などといった雰囲気は、もう神戸には少なくなってしまいましたが」と、野村さん。
また本の後半では、神戸に在住の陳舜臣や、神戸一中出身の海野十三(うんの・じゅうざ)の作品を含め、神戸を舞台としたいろいろな作家の作品も紹介されている。
横溝正史と江戸川乱歩の交流
さて、神戸市中央区東川崎町にある川崎重工業の近くには、「横溝正史生誕の碑」が建っている。これは野村さんが呼びかけ人となって建設されたものだが、その生誕碑建立にいたるまでの経緯も書かれていて、あれよという展開が非常におもしろい。
横溝は神戸二中出身、実家が薬局で、薬学専門学校を出たあと家業を手伝いながら、ミステリーを書いていた。横溝の作品を目にとめた江戸川乱歩による「トモカクスグコイ」という有名な電報を受け取り上京し、博文館に入社した。そして「新青年」等の編集長を経て、作家として独立することとなった。
その後日本は戦争に突入し暗黒の時代を迎えるが、戦後すぐに創刊された探偵小説誌「宝石」を中心として、横溝は金田一耕助が登場する「本陣殺人事件」を初めとする一連の探偵小説を発表していったのであった。しかしその作品が広く知られるようになったのは、昭和40年代後半に講談社から「横溝正史全集」全10巻が刊行され、引き続いて代表作が続々と角川文庫に収録されたことによる。その後「犬神家の一族」が映画化され、一大ブームとなったことはご存知の方も多いであろう。
江戸川乱歩と横溝との交流について、野村さんは乱歩の著作『探偵小説四十年』をもとに、二人の邂逅について記している。『探偵小説四十年』には、神戸もたびたび登場し、乱歩が神戸の洋家具を見て、有名な作品のインスピレーションを得たと思わせる質問をしたことなどが書かれており興味深い。
乱歩、横溝と交流が深かった西田政治の自宅が兵庫のえべっさんに近かったこともあり、1948年に設立された関西探偵作家クラブの例会が、柳原蛭子神社の社務所で行われたこともあった。この関西探偵作家クラブは、乱歩が東京で設立した日本探偵作家クラブとのちに合流して関西支部となり、1963年まで活動を続けた。日本探偵作家クラブというのは、現在の日本推理作家協会の前身である。
神戸在住時代の横溝作品は軽快でおしゃれなタッチ
「三度の飯よりミステリーが好き」という野村さん。野村さんは生前の横溝と会うことはかなわなかったが、何度か手紙のやりとりをしている。神戸出身ということで、横溝から西田政治を紹介され、西田とは交流があった。
そんな野村さんが一番好きな横溝作品は『獄門島』。「横溝はとにかく筆が立ち、読ませるテクニックを持っている。中でも『獄門島』は、日本人にしか理解できない世界だと思う」とか。一方で、神戸時代に書いた処女作『恐るべき四月馬鹿』を含む初期の短編は、「横溝はこんなものも書いていたのか、と驚くような軽いタッチの作品。いかにも神戸在住作家といったモダンな雰囲気です」と、こちらもおすすめするという。
Infomation
エレガントライフ刊
1,600円+税
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