5月号
触媒のうた 39
―宮崎修二朗翁の話をもとに―
出石アカル
題字・六車明峰
もう今では知る人も少なくなった神戸の作家白川渥。一時は「大阪には藤沢桓夫、神戸には白川渥」と言われたこともあったという。原作の映画化も数多い。元教師という経験を生かしての青春ものが主だが、勝呂誉、長門裕之、津川雅彦、伴淳三郎、浅丘ルリ子、笠智衆、若尾文子、三国連太郎、美空ひばりなど名だたる俳優が出演している。
愛媛県出身。1907年~1986年。本名、正美。1940年「崖」で芥川賞候補。選考委員の高い評価を得たが、その内容から、時局性により授賞を見送られたという。1954年にも「野猿の言葉」で直木賞候補。
その白川渥さんと宮崎翁のことはこの連載21回ですでに少し触れているので、略しながら多少加筆して一部引きます。
―「白川渥さんの『落雪』という小説を読んで、地元にもいい作家がおられるんだと思いました。それでぼく、そのころに住んでおられた曾和町の仮寓に執筆依頼に行きました。(後に文芸春秋社の徳田雅彦(秋声の倅)をご自宅に案内したことがありましたが、『関西の作家は立派な家に住んでいるんですねえ』と感心してましたから、これは新たに豪邸に移られた後でした。)玄関に執筆中につき面会謝絶と書いた紙が貼ってあったのを覚えています。お会いして、貧乏な新聞社の記者だと自己紹介してね、実は原稿料がお支払いできませんので、談話筆記にして下さいとお願いしました」
若き日の翁、苦労されたのだ。
「そうして出た新聞の記事を読まれて、お世辞でしょうが『新聞記者というのは文章がうまいんだねえ!』と褒めて下さったのを忘れません。―
貧乏な新聞社というのは「国際新聞」のこと。敗戦後、中国駐日代表団の後援で発行されたのだが、
「新聞といっても当時の新聞は軒並み一枚だけ。たった二頁。夕刊もない紙不足の時代でした。だから表はシナ語、裏が日本語で書かれていたんです。二面の下半分に学芸欄があってね、ぼくの担当でした。ところが給料はしょっちゅう遅配欠配。さらに困ったのが原稿料を出してもらえなかったことです」
ということで、原稿を依頼することができず、苦肉の策が談話筆記だった。
「白川さんは愛媛県のご出身ですが、ある時、実家からお餅が送られてきてね、その包み紙が「愛媛新聞」だったんです。ところがそれに白川さんの小説が載っていた。よく見てみたら「神港夕刊」に載せてた小説がそのまま使われていた。編集局長は今井正剛という人でしたが、白川さんの許可を得ず小遣い稼ぎに転売してたんですね」
余談だが今井は後に兵庫県の知事選挙に立候補したりしてなかなかのゴーケツ。その選挙は阪本勝知事が退いた後の昭和37年のこと。今井は34万票余り獲得したが、当選したのは、戦時中、思想関係の弾圧の総元締めだった内務官僚の金井元彦氏。
「白川さんは当時かなりの売れっ子で、うちの社でもお願いして連載小説を書いてもらいました。忘れもしない「原色の町」というタイトルで。挿絵は白川さんの希望で小松益喜さんにお願いしました。これが色々困ったことがあったんですが、それはまた…。そのように、白川さんとは懇意にさせて頂いてましたが、ある時こんなことを打ち明けられたことがありました。『宮崎君、ぼく、筋が作れないんや。作ってくれないか』と。それで義兄に頼んでストーリーを書いてもらって提供したことがありました。義兄は柴田仁という音楽評論家でしたが、それを白川さんが使われたかどうかは知りません」
またもや宮崎翁から意外な話が飛び出す。本当に油断のならないお人だ。
「どうも何人かの人にストーリーだけを作ってもらっておられたようでした。そのころ春木一夫という作家志望の面白い警察官がいましてね、白川さんの家に出入りしてました。彼からも『ストーリーを提供してもお金くれへん』という話を何遍も聞いたことがありました。真偽のほどは知りません」
わたし、この話をお聞きして白川さんの小説を何作か読んでみた。しかし結構ストーリー性がある。本当にストーリーテラーとしての能力がなかったのだろうか。それとも執筆が忙しすぎたのでは?という気がしないでもない。
もう一つ翁から意外なことをお聞きした。白川さんは詩も書いておられたという。
「何に載っていたのかは忘れましたが、自分の弱点を洗いざらい書いておられた。中に自分のことを“インキン掻き”と書いておられた。戦前には若い男はみなこの皮膚病に悩まされたものですがね。これはなかなか書けることじゃありません。それで、あっ、この人は偽りのない方、自分を飾らずに本当のことを書ける私小説家なんだなと思いました。そんなことでますますお近づきになりました」
■出石アカル(いずし・あかる)
一九四三年兵庫県生まれ。「風媒花」「火曜日」同人。兵庫県現代詩協会会員。詩集「コーヒーカップの耳」(編集工房ノア刊)にて、二〇〇二年度第三十一回ブルーメール賞文学部門受賞。