7月号
映画をかんがえる | vol.40 | 井筒 和幸
最近は、映画館になかなか足が向かなくなった。スクリーンが一つあるのが普通だった名画座が消えて、シネマコンプレックスという複合型が当たり前になった所為もある。お客が寄りつきそうな、“作品”というより“商品〟を並べてワゴンセールしているようで、ボクの目当ての映画はそこには先ず見つからない。表の看板を見上げて、「おお、今日はこれを見に来たんや」と観る前から心を躍らせる映画にも随分前から出会えていない。大笑いできる洋画も見かけなくなった。侵略や紛争、差別や分断が止まず、世界中が世知辛くなったようで、映画人たちも金儲けのことしか考えてないのだろう。昔の『ピンクパンサー』シリーズのような呑気で楽しかったコメディー映画も消えて久しい。
さて、話を戻すが、1990年の夏に観た、とりわけ印象に残っている愉しいフランス映画がある。米ソの冷戦が終わり、ベルリンの壁も壊れて東西ドイツが一つになったと喜んでいたら、 フセイン大統領のイラクがクウェートに侵攻して、今度はペルシア湾岸がキナ臭くなり始めたのだ。テレビで初めて見るフセイン大統領は誰がキャスティングしたのか、まるでB級低予算映画に出てくる独裁者らしい哀れな最期を予感させる顔つきだった。でも、その暴君の姿こそ紛れもない現実だし、また世界が不安に苛まれそうで鬱陶しかった。邦画でボクの気晴らしになる映画はなかった。そんな時に観たのが、『五月のミル』で、それはとても愉快な社会風刺劇だった。
時は1968年にパリで起きた五月革命の最中。日本でも東大や日大でベトナム反戦と共に全共闘運動が起こった頃で、舞台は南フランスの田舎の村だ。地主のお婆さんが死んだので、長男のミルが離れて暮らす娘たちや兄弟家族を呼んで葬式の準備をするのだが、娘らは屋敷を売ろうとか遺産を分ける話をし始めるうち、ド・ゴール大統領もどこかに逃げたし、金持ち階級は殺されるという噂を聞くと、皆で森の洞に逃げ出すというドタバタ騒動をコミカルに描いていた。監督は20代であの傑作、『死刑台のエレベーター』(58年)を自主製作して有名になった才人、ルイ・マル。彼だから観たわけだ。この監督は五月革命の時、ヌーベルバーグ派の監督のゴダールやトリュフォーらと共にカンヌ映画祭に乗り込み、これはブルジョアジーの祭だと糾弾して開催を中止させた闘士の一人だった。当時、高校1年のボクは反体制的な世界を描く映画に夢中だったし、カンヌ粉砕の事態を映研の仲間から聞いて、「やってくれたな!そうやん、そんな金持ちの遊びか金儲けか知らんけど、映画に一等二等を決めるなんておかしいわ」と拍手したのを憶えている。
それにつけても、60年代後半から70年代前半のアメリカンニューシネマは面白かった。現実を直視し、切り裂き、自由を渇望する映画が押し寄せてきた時代だった。ダスティン・ホフマンの、『卒業』(68年)は何度見ても画期的だし、20世紀初頭の西部の荒野を舞台に、個性派ロバート・ブレイク演じる先住民の青年をロバート・レッドフォード扮する保安官が追跡する、『夕陽に向って走れ』(70年)も胸に迫る、切ない青春映画だった。撮影の名手コンラッド・ホールの映像は抒情があった。昨今の映画で、抒情が伝わるロングショット画像はお目にかかったことがない。ドローンで撮った俯瞰画像に、ボクは感じるものは何も無い。
90年の夏にもう一作、旅先の商店街にあった名画座で観た『ドライビング Mⅰss デイジー』もボクの心を和ませてくれた。人種差別の激しい大戦後から公民権が認められた70年代のアメリカ南部を舞台に、ユダヤ人のお金持ちの老婦人と黒人の運転手の交流が描かれる。二人とも偏見や差別に晒される時もあるが、生き抜いていく。モーガン・フリーマン扮する運転手が婆さんと遠出して、途中の道端で一緒にゆで卵を食べながらしみじみと語り合う。ボクも誰かとゆで卵を食べたくなった。情感が手に取るように分かる映画は勉強になった。入り組んだ筋立ても斜に構えた台詞もなく、人間のあり様をしっかり写していたからだ。
PROFILE
井筒 和幸
1952年奈良県生まれ。奈良県奈良高等学校在学中から映画製作を開始。8mm映画『オレたちに明日はない』、卒業後に16mm映画『戦争を知らんガキ』を製作。1981年『ガキ帝国』で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降、『みゆき』『二代目はクリスチャン』『犬死にせしもの』『宇宙の法則』『突然炎のごとく』『岸和田少年愚連隊』『のど自慢』『ゲロッパ!』『パッチギ!』など、様々な社会派エンターテイメント作品を作り続けている。映画『無頼』セルDVD発売中。