1月号
⊘ 物語が始まる ⊘THE STORY BEGINS – vol.38
俳優、歌手 中村 雅俊さん
新作の小説や映画に新譜…。これら創作物が、漫然とこの世に生まれることはない。いずれも創作者たちが大切に温め蓄えてきたアイデアや知識を駆使し、紡ぎ出された想像力の結晶だ。「新たな物語が始まる瞬間を見てみたい」。そんな好奇心の赴くままに創作秘話を聞きにゆこう。
第38回は、俳優、歌手として第一線を走り続け、今年デビュー50周年を迎える中村雅俊さん。
文・戸津井 康之
半世紀かけて叶えた三つの夢…人生はまだ青春の途上
衝撃のデビュー
今から49年前の1974年。歴代人気を誇った青春ドラマシリーズの新作に、長身で長髪の〝大型新人〟が彗星のごとくデビュー。弱小ラグビー部を甦らせる新任の熱血先生を演じ、世間を賑わせた。
「3月に大学を卒業し、翌4月にいきなり連続ドラマの主演ですからね。さらに劇中歌で歌った曲で歌手デビューできるなんて当時は想像もしていませんでした。戸惑いましたよ…」
気さくな笑顔で中村雅俊さんは半世紀前の〝衝撃デビューの真相〟をこう振り返る。
182センチの長身。スラリと背筋の伸びたスタイルの良さは大型新人と呼ばれたデビュー当時の頃と変わらない。周囲を和ませる爽やかで朗らかな笑顔も、72歳となった今も健在だ。
慶應大学在学中に文学座附属演劇研究所に入所。大学卒業後すぐに日曜夜の連続ドラマ「われら青春!」の主演、沖田俊に大抜擢された。
ドラマの劇中、アコースティックギターを抱え、歌った「ふれあい」は大ヒット。デビューシングルのレコードがいきなりミリオンセラーとなる126万枚超えを記録し、歌番組への出演など引っ張りだこに。まさに時代の寵児として鮮烈なデビューを飾った。
翌1975年には主演ドラマ「俺たちの旅」が人気を集め、主題歌「俺たちの旅」と挿入歌「ただお前がいい」が大ヒット。
「でもヒットランキングはずっと2位。あの『泳げ!たいやきくん』が同時期に発表されたんですよ。仕方ないですね」と笑う。
その後もドラマや映画への出演は相次ぎ、主題歌などが次々とヒット。俳優兼歌手として第一線を駆け抜けてきた。
「おかげさまでデビュー以来、歌手として45年間、毎年ステージに立ってきました。ところが2020年、コロナ禍の影響で遂に連続ツアーが、途絶えてしまって…」。そう悔しそうに語ったが一転、「翌年からまたツアーを再開したんですよ」と明るい笑顔に戻った。
そこには特別な意味が込められていた。2021年から始まったツアーはこれまでとは趣向が違った。
「billboard classics 中村雅俊」と銘打った〝復活のステージ〟は自身初挑戦となるフルオーケストラを率いて歌うコンサートだった。
「歌手デビューし、歌うことを生業としてからの夢だった、念願のフルオーケストラとのコンサートが遂に叶ったんです」
今回が3度目のツアー。12月21日には兵庫県立芸術文化ホールを会場に「兵庫芸術文化センター管弦楽団」の演奏で歌い上げた。
そして、デビュー50周年を迎えた今年。2月1日には東京のすみだトリフォニーホール大ホールを会場に「新日本フィルハーモニー交響楽団」の演奏で歌う。
「フルオーケストラということもあり、これまではスローバラードやミディアムテンポの曲が多かったのですが、今回はアップテンポの曲を増やしています。会場が盛り上がるんですよ」と新たな挑戦に意欲を燃やす。
歌手として抱いた三つの夢
俳優と同時に歌手としてデビューし、もうすぐ50年。第一線を走り続けながら、こんなことを考えてきた…。
「歌手になってから、三つの夢を持ちました。一つ目は、NHK紅白歌合戦に出場すること。二つ目は、日本武道館で単独コンサートを行うこと。そして、三つ目がこのフルオーケストラとの共演だったんですよ」
すべての夢を叶えながら、それでも立ち止まらず、新たな新境地に挑むため、2月のステージに向け、準備を進めていた。
宮城県で生まれ育ち、外交官を目指して上京。慶應大学経済学部へ進む。英語を学ぶためにESS(英語のクラブ)へ入部し、そこで出会ったのが英語劇だった。演劇に魅了され、文学座へ入り、そこで運命が訪れる。
「われら青春!」の主演デビュー。そこにはこんなドラマ史の秘話が隠されていた。
「実は当初の予定では文学座の先輩だった松田優作さんが『われら青春!』の主演を務める予定だったんですよ。ところが『太陽にほえろ!』に出演していた刑事役のショーケン(萩原健一)さんがドラマで〝殉職〟したため、松田さんが新たな刑事〝ジーパン〟として呼ばれて。そこで急きょ、俺が『われら青春!』に出ることになったんですよ」
もの心付いた頃から音楽に夢中になり、「ビートルズ」に魅了され、ミュージシャンにずっと憧れてきた。
「大学で作詞作曲もしていました。だから、俳優デビューと同時にレコードも出せるなんて夢のような話でしたね」
さらにこんな〝音楽秘話〟も教えてくれた。
1975年に放送が開始された人気ドラマ「俺たちの旅」で歌った同名の主題歌と挿入歌「ただお前がいい」が大ヒット。「そのご褒美として、レコード会社から欧州旅行をプレゼントされたんです」
英国での滞在時。日本語の歌詞を作詞した縁で知り合った二人組の英アーティスト「スプリンター」と現地で再会。「彼らは俺に『俺たちの〝ボス〟に会いたいかい?』と聞き、その場で電話をかけたんです。そして『明日、自宅へ来るか?』とボスが呼んでいるよと。翌日、俺はうれしくて一時間車を飛ばしてボスの家へ駆け付ましたよ」
ボスとは、スプリンターが所属していた音楽会社の社長、ジョージ・ハリスン。憧れの「ビートルズ」のリード・ギタリストだ。
「家に着いたら8万坪もある大豪邸で驚きました。広大な庭には池や川、日本庭園もあり、彼が案内してくれたんですよ」
そのときにハリスンと一緒に撮った貴重な写真も披露してくれながら、臨場感豊かにその訪問の様子を説明してくれた。
「この写真は今でも俺の宝物なんです」とうれしそうに話す表情は、「ビートルズ」に憧れ音楽活動に明け暮れていた学生時代に戻ったかのように無邪気だった。
歌手になって立てた夢。その一つ目の紅白歌合戦初出場は1982年に叶えた。さらにその二年後、二つ目の夢を実現した。
1966年、初来日した「ビートルズ」は東京の日本武道館でコンサートを開催している。
「いつか自分も武道館で歌いたい…。そう思うのは、ミュージシャンになった者にとっては誰もが一度は夢見る願いでしょうね」と強調した。
1984年、日本のミュージシャンにとって聖地と呼ばれる日本武道館のステージに遂に辿り着いたのだ。
〝青春貴族〟は継続中
そして現在。まだ三つ目の夢の途上にいる。
フルオーケストラのコンサートでは往年のヒット曲も披露。
その代表作と呼べる「俺たちの旅」や「ただお前がいい」はシンガー・ソングライターの小椋佳さん、「恋人も濡れる街角」はサザンオールスターズの桑田佳祐さんによる楽曲だ。
「いずれも俺が曲を作ってほしいと願って、いろいろな人へ頼んでいたら、本当に作ってくれたんです」と恐縮しながら笑う。
この愛嬌あふれる笑顔で依頼されたら、きっとどんなミュージシャンも断れないのではないか?
一方、俳優としてもまだまだ忙しい。
話題を呼んだNHK連続テレビ小説「半分、青い。」(2018年)では孫の活躍を優しく見守る祖父を演じ、映画「天間荘の三姉妹」(2022年)では老舗旅館のベテラン総料理長を演じた。いずれも脚本家や監督たちから「あなたに演じてほしい」という直々にラブコールを受けての出演だ。
「実は今、これが映画化できたら…と構想中の企画があるんですよ」
不朽の名作「俺たちの旅」の50年後を描いた物語だという。
気ままに青春を生きる大学生のカースケ(中村雅俊)。何をやってもだめな同級生、オメダ(田中健)。いつも煮え切らない先輩のグズ六(秋野太作)。まだ、20代だったあの3人は50年後、どうしているのか…。
「実はドラマでカースケが着ていた米軍払い下げのコートに下駄。ぜんぶ当時の俺の私服だったんですよ」と笑いながら明かす。
将来の夢や構想を語る熱い姿が、あの無頼漢のカースケや熱血先生の沖田俊とオーバーラップして見えてきた。
夢がある限りまだ青春の途中…。中村さんの生きざまがそれを教えてくれる。
中村 雅俊(なかむら まさとし)
1951年生まれ。宮城県出身。1973年、慶應義塾大学在学中、文学座附属演劇研究所に入所。1974年、NTV「われら青春!」の主役に抜擢されデビュー。挿入歌「ふれあい」で歌手デビューし、売り上げが100万枚を超える。 今までに役者として、TV連続ドラマの主演数は34本。歌手としてもコンスタントに曲を発表し、現在シングル55枚、アルバム41枚をリリース。デビューから毎年行う全国コンサートも1500回を超える。 加えてCMも味の素、Panasonic等、現在まで36本の広告数を数える。