9月号
映画をかんがえる | vol.30 | 井筒 和幸
1986年の4月下旬から、ゴールデンウィーク用として、『犬死にせしもの』は岡本喜八監督の『ジャズ大名』と二本立てで公開されたが、お客が不入りのまま終わってしまった。ボクの作品は若い客層を狙っていたが、なにせ世の中は軽佻浮薄な時代。敗戦直後に元日本兵が海賊になって、戦争成金の悪党と戦う、そんな話には全く興味がなかったようだ。ちょうどこの頃、旧ソ連邦のウクライナ共和国のチェルノブイリ原発で起きた大爆発事故のニュースが伝えられたが、今一つ実情が判らず、日本政府はソ連政府が情報を隠していると非難し、庶民たちは放射能の雨が降るぞ、輸入品のパスタの値段が上がるぞと騒いでいた。
ボクら制作チームはそんな騒ぎもよそに意気消沈するばかりだった。「ゴールデンウィーク」というのは'50年代初め、どこかの映画会社が「この連休は大いに客を入れて稼ぐ時だ」と考えついた宣伝用語だ。ボクの作品は製作費も予算オーバーしていたし、製作会社の重役はさぞかし頭が痛かったことだろう。おまけに、作品の評判も良くなくて、しばらく、ボクはものを考える気がしなくて出歩く気もしなかった。確か、「物語が冗漫で予定調和、台詞も聞きとりにくい」と新聞の映画評に書かれて、その記事だけ破って丸めて捨てたのを覚えている。何億円もかけて作ってこんなことを言われてるようじゃ、プロとは言えないなと思うと、惨めでつらかった。
家でくすぶる日々が続き、ビデオで昔の映画ばかり、それも戦争モノばかり観て気を紛らわせた。ボクが描いた小悪党よりもっと悪い奴ら、戦争を指導した軍人らの狂気や破滅を見たくなったからだった。大先輩の岡本喜八作品の『日本のいちばん長い日』(67年)を見直したのもこの頃だ。高校時代に学校をさぼって観て以来、すっかり忘れていた大作だ。ポツダム宣言受諾をめぐり、あと何十万人死のうと本土決戦までやろうとする軍人らと政府の対立を捉え、戦争を終わらせるまでの緊迫の一日を追った映像は岡本節炸裂だ。ボクは撮影前にアメリカのベトナム帰還兵モノばかり観ていたのが間違いだったと思った。戦中世代が撮った邦画をもっと観ておけば、命からがら戦地から戻った日本兵らの心の喪失感を出せたのかもと後悔した。軍隊経験のあるその大先輩はボクの作品を見て、随分、能天気な人物たちだなと呆れたに違いない。
塞ぎこんでいても心が腐るだけだ。街に出て、気分を変えてくれる映画を探そう。そう思って観たのが、『レイジング・ブル』(81年)でボクに映画作りを止めずに前に進めと背中を押してくれたマーティン・スコセッシ監督の新作、『アフター・アワーズ』(86年)だ。ニューヨークを舞台に不眠症のプログラマーが一晩中、けったいな奴らに次々に出合って振り回される。正体不明のニューヨーカーたちの生態が面白かった。主人公が夜中のカフェでヘンリー・ミラーの「北回帰線」なんかを読んでることからして可笑しくて、またうまい具合に美女と出逢うので目が離せなくなった。彫刻家、遊び人、泥棒、街の自警団たち。映画表現こそ自由への冒険だ。興行成績が第一?大勢が好む話?そんなこと知ったことか。めげるな!自由な心で映画に向かっていくんだ。スコセッシ監督にまた背中を叩かれた気がした。
秋になると、観客の心を鷲掴みにした『フレンチ・コネクション』(72年)や、『エクソシスト』(74年)など、ニューシネマの鬼才ウィリアム・フリードキン監督の新作が登場したので、映画館に走った。『L.A.大捜査線/狼たちの街』(86年)は題名通り、連邦捜査官たちがロスの紙幣偽造団を追いつめる話だが、さすが鬼才。ただのポリスアクションとは違っていた。まだ悪党のボスをやっつけていないのに、主人公が先にやられてしまうので、ボクは思わず声を上げていた。彼も人の生き死ににルールなんてないと教えてくれたのだ。(先日、フリードキン監督が87歳で亡くなった。ご冥福を祈ります。)
PROFILE
井筒 和幸
1952年奈良県生まれ。奈良県奈良高等学校在学中から映画製作を開始。8mm映画『オレたちに明日はない』、卒業後に16mm映画『戦争を知らんガキ』を製作。1981年『ガキ帝国』で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降、『みゆき』『二代目はクリスチャン』『犬死にせしもの』『宇宙の法則』『突然炎のごとく』『岸和田少年愚連隊』『のど自慢』『ゲロッパ!』『パッチギ!』など、様々な社会派エンターテイメント作品を作り続けている。映画『無頼』セルDVD発売中。