9月号
神戸で始まって 神戸で終る ㊷
『Forward to the Past 横尾忠則 寒山拾得への道』展は、開館10周年記念展になるらしい。この10年にいくつの展覧会が開催されたのか、僕には記憶がない。この間にコロナが流行して、僕も神戸に行く(帰る?)ことがなくなったので、この間、ほとんどの展覧会が学芸員まかせになってしまったが、逆に僕の不在によって展覧会はうんと面白くなって、観客動員にも成功しているそうだ。
この『寒山拾得への道』展は、2021年に東京都現代美術館で開催された、過去最大規模の600点による『GENKYO 横尾忠則』展のために新たに描き下ろした作品を中心に、横尾忠則現代美術館で、新たに組織し展示したものである。
この新たに描き下ろした作品の中心は寒山拾得をモチーフにしたものであるが、当展では、寒山拾得に至るその過程が理解できるような、それ以前の作品も同時に展示することで、なぜ寒山拾得を描くようになったかを、言葉の説明ではなく、それ以前の作品と対峙することで、感覚的に理解できるように構成されていたように思う。
僕が現地に行かなくても、学芸員が毎回、構想した展覧会プランを持参して、くわしく説明をしてくれるが、それを拝見するのも、いつのまにか僕の愉しみになっている。同じ作品でも展示構想が変わり、展示空間も変化することで、従来の作品が全く異なった様相を呈して、まるで初めて見るようだと、東京での展覧会を観た人の感想である。
ここで寒山拾得について簡単に述べておこう。寒山拾得とは、中国にある霊地、天台山を舞台にして生まれた、寒山と拾得という二人の伝説の人物である。唐の時代の風狂僧として有名で、いつも奇妙な笑いを浮かべて、その行動は常軌を逸しており、実在の人物かどうかも定かではない。
拾得は天台山国清寺に住した豊干禅師に拾われたので、その名を拾得という。この拾得は国清寺に住居を与えられている。一方、寒山の名は、寒巌、翠屏山に隠棲していたことにちなんでいる。その寒山は国清寺に行き来して、拾得から残飯をもらっていたという。二人はボロの着物に木靴を履いた奇妙な姿で、常人には理解できない言葉を発して奇行を繰り返したという。この常識を越えたような二人の行動が仏法の真理を目覚めさせる人物として、禅の世界では尊敬されており、寒山は文殊菩薩、拾得は普賢菩薩の化身ともいわれていた。
僕が寒山拾得に興味をもつようになった直接の原因は、曾我蕭白の描いた水墨画からである。それ以前の室町時代から、多くの画家によってこの二人は絵のモチーフになっていたので知ってはいたが、ただ不気味な人物だと思う程度で、その気持ち悪さからあまり好きになれなかった。文学では森鴎外が『寒山拾得』という短編を書いているのが知られているが、井伏鱒二や芥川龍之介などもチラッと書いている程度で、井伏などは寒山と拾得を取り違えて書いており、その間違いを指摘した人はひとりもいない。寒山は常に巻物を手に、拾得は箒を常に小道具としているが、井伏は二人の小道具を間違って描写している。そのくらいに二人の存在は曖昧であるということだ。
僕が描く寒山拾得は、寒山が常に携帯する巻物をトイレットペーパーに変え、拾得の箒を電気掃除機に変えて、絵の中に登場させている。僕にとってはこの二人は自由の象徴である。つまり常識の範疇をはるかに越え、生と死を超克した何でもありの存在なのである。絵の表現さえどうでもいいという二人の精神を体現することによって、自由のキャパシティを拡張する手段とした。僕の絵の中では寒山拾得は全ての制約から自由であるために時代も場所も無視した存在として、中国人であると同時に日本人、西洋人、時にはアフリカ人にもなって、異次元の存在として絵の中を暴れまくるキャラクターに変身させ、シルベスター・スタローンのランボーになったり、ドン・キホーテやロビンソン・クルーソーにも変身させ、寒山拾得にはタブーがないことを証明した。と同時に美術家も自由で限界のない世界で生きなければならないということを暗示させる必要があった。
話は変わるが9月12日より、東京国立博物館で『横尾忠則 寒山百得』展と題して、102点全作新作の描き下ろし作品展を12月3日まで開催することになっている。神戸の『寒山拾得への道』展と併せて、ぜひこちらの展覧会も観ていただけると嬉しいと思います。
美術家 横尾 忠則
1936年兵庫県生まれ。ニューヨーク近代美術館、パリのカルティエ財団現代美術館など世界各国で個展を開催。旭日小綬章、朝日賞、高松宮殿下記念世界文化賞、東京都名誉都民顕彰、日本芸術院会員。著書に小説『ぶるうらんど』(泉鏡花文学賞)、『言葉を離れる』(講談社エッセイ賞)、小説『原郷の森』ほか多数。横尾忠則現代美術館にて9月16日(土)より「Yokoo in Wonderland―横尾忠則の不思議の国」開催。12月24日(日)まで。
横尾忠則現代美術館
https://ytmoca.jp/