5月号
水木しげる生誕100周年記念 知られざる 水木しげる|vol.8
子どもに社会を学ばせる教科書にしたい『こどもの国』後編
前編の最後でねずみ男が言った「くさった政治」とはいかなるものか。それを象徴するのがゴマのセリフだ。
「『悪』に対する免疫性こそ大政治家の資格です」「それに政権にはハエとウジムシがつきものですよ」
一方、三太が大統領になったこどもの国では、芋の配給が増えたと、ベビィたちが喜んでいる。さらにニキビの隠し芋をさがしに、実力者の子ども三人が捜索に出かける。
すると、メガネ出っ歯のゴマが現れ、空腹の三人を焼き鳥と焼き芋で誘惑する。
「おめえ達のような力の強い子供はよけいカロリーをとらにゃアいかん」
そこにねずみ男が登場し、「そうだ!小さな弱いベビィが一日芋一個で、力の強いお前達も芋一個の配給……これが果たして真の平等かな?」と疑問を投げかける。
ここに〝平等〟という複雑な概念が持ち出される。全員に同じものが配られれば、それはある意味平等だが、働きに応じた分配にはならない。しっかり働いても働かなくても同じ配給で、人はしっかり働くだろうか。生産性を高めるには、働きに応じた分配=能力主義が必要だが、そうすると、弱い者や働けない者が飢えてしまう。その分配をコントロールするのが政治だが、全員を満足させることはきわめてむずかしい。下手をすると全員が不満を持つ。
三人の捜索隊の前にニキビが出てきて、それぞれを大臣に任命したあと、実力者の「牛五郎」は副大統領にするつもりだと伝言する。牛五郎は芋がカマスに三俵自由に使えると知り、「東京都議会の議長並みじゃねえか」と喜ぶ。そして三太に対し、「弱い者を助けるのが政治だと思ってるんだ。固すぎるナ」と批判する。
おりしも三太が「小さなベビィを普通の子供のように働かせてはかわいそうだ」と、保育所の造設を提案すると、ベビィたちは賛成するが、力の強い子どもたちがそれを抑え込み、政権交代を要求する。女の子とベビィは反対するが、突然現れたニキビやねずみ男の暴力で「革命」が成就する。
そこでこどもの国は〝くさった国〟になり、「やたらに官職ばかりふえてあそんでる人間が多くなった上に、実力者で勝手に芋を分配するようになったんだ」と、ひもじいベビィたちが三太のもとに亡命してくる。三太は芋に目がくらんで肥溜めに落ちたねずみ男を助ける代わりに、協力を約束させる。
「大きな胃袋を持った実力者をなだめなきゃア何一つできないのが現実なんだ」と言うねずみ男に、三太は「じゃア財界の実力者のキゲンさえとれば病人や赤ん坊はどうなってもいいというのか」と、また生々しいセリフを吐く。
かたやニキビの「くさった国」ではベビィのレジスタンスなど問題が山積みになり、勲章を作ったりしてごまかそうとするが、三太率いるベビィ軍が攻めてきて、ニキビは軍隊の総動員を命じる。牛五郎が「大臣と大将だけしか集まりません」と報告すると、「それで充分だ」と戦闘がはじまる。三太軍は有利に闘うが、寝返ったねずみ男にだまされ、国を二分することで和平を結ぶ。
そこに強大な隣国「たぬきの国」の脅威が高まり、ニキビは「お互いにくさった政治で固くむすばれている」と、たぬきの国に接近するが、再度寝返ったねずみ男の説得で、三太側につき、たぬき軍を撃退して大団円となる。
ニキビも改心し、三太に協力することを約束して、メデタシメデタシとなる。
しかし、私はここで首を傾げる。漫画はハッピーエンドで終るが、現実は終らない。いったんは健全な国になっても、やがてまた以前と同じ問題=力の強い子どもの不満が高まるだろう。〝真の平等とは何か〟という命題には、答えが出ていないのだから。
久坂部 羊 (くさかべ よう)
1955年大阪府生まれ。小説家・医師。大阪大学医学部卒業。大阪大学医学部付属病院にて外科および麻酔科を研修。その後、大阪府立成人病センターで麻酔科、神戸掖済会病院で一般外科、在外公館で医務官として勤務。同人誌「VIKING」での活動を経て、『廃用身』(2003年)で作家デビュー。