11月号
神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~⑲前編 川西龍三
日本の空を守れ…航空機に捧げた川西龍三の情熱
執念で開発した紫電改
第二次世界大戦末期。沖縄を占領した米軍の艦隊は日本本土に迫り、日本の制空権が奪われるのも時間の問題だった。1945年3月。速度、馬力で日本の戦闘機を凌駕する〝ゼロ戦キラー〟ことグラマンF―6Fヘルキャットの編隊が、日本海軍の拠点、広島・呉軍港を攻撃するため、日本の領空に侵入しようとしていた…。だが、日本はこの〝最終決戦〟のために新型戦闘機を密かに愛媛・松山基地に配備していた。
新型機の名は「紫電改」。神戸市須磨区で生まれ育った技術者で実業家、川西龍三(1892〜1955年)が創設した川西航空機(現新明和工業)が、全社員の英知を結集、全資産を投入し開発にこぎつけ、本土決戦のために完成させた最新鋭機だ。
大手の三菱重工でも川崎重工でもない。このとき日本の制空権は、のどかな〝兵庫の片田舎〟鳴尾村(現西宮市)で創業した航空機メーカーに託された。「大空に憧れた」龍三たち川西の技術者たちの執念が完成させた紫電改にその存亡がかかっていたのだ。
「ヘルキャットの性能を超える迎撃戦闘機は日本にはない…」。最大のライバル、ゼロ戦との空中戦を制してきた米軍の戦闘機パイロットたちは、そう高をくくり、四国上空を我が物顔に越えようとしていた…。
だが、突然、その視界にこれまで見たことのないシルエットの機体が現れた。濃緑色で塗装された紫電改の編隊だった。
アニメ化もされた人気漫画「あしたのジョー」などで知られる漫画家、ちばてつやの作品群の中に、地味だが世代を超えて読み継がれてきた傑作がある。
タイトルは「紫電改のタカ」。紫電改のパイロットを主人公に描いた戦争漫画だ。この中に、愛媛上空での空中戦の様子が克明に描かれている。
航空機開発者の意地
決戦前の1945年1月。劣勢に立たされた日本は松山基地で米軍を迎え撃つ準備を進めていた。激戦をくぐり抜けてきた少数精鋭のパイロットをこの地に結集させていたのだ。
第三四三航空部隊。後に航空自衛隊の創設に尽力する源田実が航空隊司令を務めた通称「剣」部隊。源田が発案し、発足させた本土防衛の〝最後の砦〟ともいえる部隊だった。
この「剣」部隊に所属していた元ゼロ戦パイロット、笠井智一さん(今年1月、94歳で死去)を兵庫県の自宅で取材し、愛媛での空中戦の話を聞かせてもらったことがある。
笠井さんはゼロ戦パイロットとして、特攻隊の直掩(特攻機を敵戦闘機から掩護しながら、戦地へ向かう役目)の任務で何度も出撃。同僚のパイロットが次々と戦死していく中、苛烈な空中戦を生き抜いた笠井さんが招集されたのが源田司令率いる「剣」部隊だった。
笠井さんは、「ゼロ戦は約900馬力。旋回性能などは高いが、ヘルキャットの馬力は2000馬力以上。速度も加速力もかなわなかった。ヘルキャットが登場してからは正直、ぜロ戦の非力さを痛感させられた」と打ち明けた。
だが、松山基地で紫電改を操縦した笠井さんは驚愕した。
「ゼロ戦の約2倍。2000馬力のエンジンを搭載した機体は見るからに頑丈で、実際に上昇力は高く、急降下してもびくともしない。これならヘルキャットと戦える!そう確信しました」
本土防衛のためにヘルキャットと戦えるゼロ戦の後継機が必要だ。何としてでも完成させろ―。日本の全航空機メーカーに下された軍部からの命令を、龍三は武者震いしながら聞いていた。海軍機の開発で秀でた三菱、陸軍機の開発でリードしていた川崎。後発の川西は、二式飛行艇や水上機など独自の開発技術で成果を出していたが、戦闘機開発においては他メーカーに遅れを取っていた。、当時、軍部からほとんど期待されていなかったのだ。
それだけに龍三の決意は固かった。
「我が川西航空機が、どの航空機メーカーにも真似できないような最新鋭戦闘機を開発するぞ!」
龍三は社員を前にこう檄を飛ばした。
川西を選び、入社したエンジニアたちも龍三の檄を武者震いしながら受け止めていた。
「紫電改」の開発メンバーの中には、その後、国産初の旅客機「YS―11」の設計を手掛けた菊原静男もいた。堀越二郎、土井武夫、木村秀政、太田稔とともに日本屈指の航空エンジニアの称号「五人のサムライ」と呼ばれる一人だ。
ちばてつやの「紫電改のタカ」。邦画界の重鎮、松林宗惠監督と円谷英二特撮監督による映画「太平洋の翼」(1963年)など、紫電改のパイロットを主人公にした作品は多く、華やかなパイロットの人生ばかりが注目されてきた。
一方、戦闘機開発に関わった航空機エンジニアたちは裏方の地味な存在。脚光を浴びる機会は少なかった。だが、無類の航空機好きで知られる文豪、城山三郎は紫電改の開発を手掛けた龍三たちの地道な努力の軌跡に着目した。
小説「零からの栄光」には龍三たちの知られざる壮絶な苦闘の日々が綴られている。
=中編ヘ続く
(戸津井康之)