5月号
神戸旧居留地ものがたり —旧居留地の歴史・景観・魅力とオリエンタルホテル—
神戸の開港以来、外国人の活動拠点として栄えた神戸居留地。
ここで様々な文化が生まれ、神戸発展の礎を築いてきた。
現在でも、上質で洗練されたお店が建ち並び、神戸ファッションの発信基地として注目を浴びる。
旧居留地の歴史
波乱に満ちた誕生と、現在までのあゆみ
いつも時代の一歩先を行く街
神戸の居留地は神戸が世界へ開く港として開港した慶応3年(1868)、外国人のための住居や事業の場として設けられた。英国人技師、ハートが設計し伊藤俊輔(博文)と協議したプランに基づき、街路や公園、街灯や下水道まで計画的に整備されていったが、街として全体の景観や機能が整ったのは明治8年(1875)といわれている。新しく誕生した区画は126区画。道路は歩道と車道に分けられ、歩道は煉瓦舗装、メインストリートの京町筋は約20mの広さがあったという。また、明治5年(1872)頃には町名が付けられたが、道路を境界とするのではなく、道沿いに町名を付けるというヨーロピアンスタイルが採用された。ちなみに「伊藤町」は居留地開設の責任者だった伊藤俊輔が自分の姓を付けたもので、功績を讃えて付けられたものではない。かくして居留地は神戸における貿易の拠点、経済の中心として発展するだけでなく、サッカーやラムネなど新たな文化の窓口としても重要な役割を果たした。明治32年(1899)、不平等条約改正にともない居留地は日本政府に返還されるとともに日本人も流入。大正時代にはビジネス街として第一次世界大戦の影響による好景気に沸くなど大いに繁栄したが、やがて戦争の時代に突入。空襲により大きな被害を受けた。戦後、ビジネス街として再興する一方、居留地ならではの近代建築が見直され、そこにブティックやレストランなどが入居するように。平成7年(1995)、阪神・淡路大震災により大きなダメージを受け、22棟のビルが解体される憂き目に遭う。しかし、倒壊した旧神戸居留地十五番館(居留地時代から残る唯一の建物)も復元されるなど復興し、現在は「オシャレな街」として賑わいを取り戻している。
旧居留地の景観
モダニズムと港町の風情に満ちた神戸の至宝
建築史的にも貴重な建物が並ぶ
まるで日本ではないような、エキゾチックな街並み。旧居留地の景観はまるで私たちを、時空を超えた旅へと誘うようだ。緑の街路樹や整った区画もさることながら、やはりレトロな建物がその大きな魅力だろう。その代表格は国指定重要文化財の旧神戸居留地十五番館だ。居留地がまだ日本に返還される前の明治13年(1880)頃、アメリカ領事館として使用された。当時流行したコロニアル様式で、バルコニーのある瀟洒な洋館だ。大丸の旧居留地38番館は、関西学院大学など関西圏で多くの建物を残したヴォーリズによる設計。正面にイオニア式円柱が4本並んだアメリカン・ルネッサンス様式の建築で、旧外資系銀行らしい堂々としたビルだ。神戸市立博物館もまた、古典主義様式の貫禄ある建物。設計を手がけた桜井小太郎は、日本人として初めて英国公認建築士を取得した人物だ。海岸通りに面した商船三井ビルディングは、日本を代表する建築家、渡辺節の作品。大阪商船神戸支店として大正12年(1923)に建てられ、当時の船会社の栄華がうかがえる。ほかにも海岸ビルヂング、神戸郵船ビル、チャータードビル、神港ビル、同和火災海上ビルなど戦前の名建築が点在しているが、戦後に建てられたビルも、モダニズム建築やポストモダン建築などそれぞれ時代の様式を見せ、旧居留地はさながらビルのショールームといったところだろう。しかし、スカイラインや街全体のデザインには統一感があるだけでなく、洒脱なショーウインドウ、季節の花々が咲く花壇など、ちょっとしたことが景観を彩っている。旧居留地が美しいのは、神戸市や旧居留地連絡協議会による景観保全への努力や活動の成果のみならず、この街を愛する人たちの心が随所に表れているからなのかもしれない。
旧居留地の魅力
神戸らしいセンスにあふれる大人の街
街の美観と歴史にさらなる彩りを
異国情緒にあふれ、潮風薫るストリートを歩くだけでも胸躍る旧居留地界隈だが、散策すれば魅力的なショップやスポットに出会うことができる。その代表格は大丸神戸店。クラシカルなコリドールにはミラノスタイルのカフェ「カフェラ」があり、一流のバリスタが腕を振るっている。ブランド店の多さも、旧居留地の魅力のひとつ。世界的な高級ブランドから親しみやすいカジュアルブランドまで、最新のファッションがこの街に集結。飲食店も多く、グルメを唸らせる名店や洒落たカフェも枚挙に暇がない。旧居留地は文化の発信拠点でもある。神戸市立博物館は人気の企画展となれば行列ができるほど賑わう。そして花々が微笑み、街路樹の緑もやさしく、冬には荘厳な神戸ルミナリエの光が街を彩る。季節ごとに変わる街の表情もまた、歩くたびにこの街を好きになる理由なのかもしれない。平成22年(2010)にオープンした神戸旧居留地25番館は、旧居留地の魅力をぎゅっと凝縮したようなラグジュアリーなスポット。オリエンタルホテルがここに復活。ニューヨーク発祥のスペシャリティストア「バーニーズ ニューヨーク」や、世界のセレブリティたちが愛顧するブランド「ルイ・ヴィトン」も店を構える。さらに個性あふれるセレクトショップ、トータルで美を叶えるエステやヘアサロンなども営業。空間のデザインも洗練されていて、ノスタルジックな神戸のイメージを体現している。
オリエンタルホテル
神戸の文化とコミュニティを支えた、その栄光の足跡といま
145年の時を貫く気品と矜持
オリエンタルホテルの創設は明治3年(1870)で、当時大いに繁盛した。その秘密は料理にあった。責任者のフランス人、ルイ・ベギューは腕利きの料理人。当時は西洋料理の食材調達が困難で、近郊の大石村(今の灘区)に広大な菜園を設け、アスパラガスやたまねぎ、レタスなど当時の日本では珍しかった野菜を栽培。明治40年(1907)、港を望む絶好のロケーションを誇る海岸通に面した6番に移転。大正5年(1916)に日本企業の経営となってより親しみやすくなり、第一次世界大戦の好景気も相まってホテルは大いに賑わった。ヘレン・ケラーも利用し、谷崎潤一郎の名作『細雪』にもたびたび登場するなど、名実ともに神戸を代表するホテルとして君臨した。太平洋戦争による空襲で焼失したものの、昭和23年(1948)に営業を再開、昭和29年(1954)にはジョー・ディマジオとマリリン・モンローが新婚旅行で宿泊している。昭和39年(1964)に現在の25番に移転し、高度成長時代の神戸の社交場として再び輝きを取り戻すが、平成7年(1995)の阪神・淡路大震災により甚大な被害を受け、惜しまれつつ歴史の幕を下ろした。しかし、神戸の人たちのオリエンタルホテルに対する思いは強く、15年の時を経て平成22年(2010)、神戸旧居留地25番館内に甦った。往時のムードと現代のセンスを融合させた独特の雰囲気や、最上階のロビーやレストランからのパノラマは、神戸っ子たちはもちろん、旅人たちをも魅了している。グルメも美食の伝統を受け継ぐメインダイニングのほか、ステーキハウスやバーだけでなく、寿司も愉しめ大いに流行っている。ウエディングにも力を入れており、都会にありながら水と緑のオアシスのような空間で、フラワーシャワーが祝福してくれる。一方でプライスは比較的リーズナブル。気軽に利用できる神戸のサロンとして、今日も新たな歴史を刻んでいる。