6月号
日豪青少年交流に半生を捧げた古澤峯子先生 「オーストラリアが趣味なの」
日下德一(神戸日豪協会副会長)
間もなく一年になるが昨年六月、百一歳と五ヶ月の天寿を全うされた古澤峯子先生ほど、オーストラリア好きな人はめったにいない。ご自身もよく、「ほかに趣味は何もないのよ。朝から晩までオーストラリアのことを考えているのが趣味だわ」と言われていたほどだ。
先生のオーストラリア好きは若い時からではなく、二十年近くお勤めになった高校教員を退職された、五十五歳の夏からであった。津田英学塾で英文学を専攻され、高校では英語を教えておられた先生は、イギリスやオーストラリアのことはよく分かっているおつもりであったが、初めて訪れたオーストラリアで圧倒されてしまった。その自然の美しさもさることながら、オーストラリアの人たちの人間性の素晴らしさに、人生観や世界観を一変させられたのである。
先生がオーストラリアに赴かれたのは、その年(昭和四十年)の八月、ブリスベンで開かれた大学婦人協会世界大会に出席されるためであった。折しも大会を開催したクインズランド大学では、翌年から日本語学部を創設するので日本人教員を探しているところだった。先生は渡りに船とばかりにそれに応募し運よく合格、そのまま居残って四年間大学で教えられることになった。
この間に先生のオーストラリア好きにはますます拍車がかかり、人間と人間が心からふれ合えれば、戦争など起こさなくていいのだという信念が、いっそう強固なものになっていった。先生は昭和四十四年三月に帰国されると、すぐさま日豪協会作りを始められた。当時は、国際交流に対する関心は今ほど高くなく苦労されたが、やがて元兵庫県知事の阪本勝氏をはじめ兼松江商の沖豊治氏、神戸新聞社長の光田顕司氏らが先生の呼びかけに賛同して、昭和四十七年一月、ようやく「神戸日豪協会」が誕生した。
それからの先生は、半生すべてを日豪協会に捧げたといっていい。日豪青少年の交流事業はいうに及ばず、日豪間の理解と親善を深めるため、さまざまな企画をたて実行に移された。中にはフル編成のユース・オーケストラや、戦時中収容所へ入れられた日本人のために尽くされた、九十八歳という高齢のモンティ女史を日本に招聘するなど、一協会としてはとうてい手に余るような案もあった。そしてそのつど、周囲をはらはらさせたが先生は頓着せず、「どうしてなの。何とかなるわよ」といわれながら計画を進められ、それが先生のお人柄のせいかどれもうまくいくのだった。
この間に兵庫県は西オーストラリア州、神戸市はブリスベンと友好関係を結び、県民や市民もオーストラリアへの関心が高まった。先生も昭和六十二年に日本人としては四人目、女性としては初めてオーストラリア政府からOAM勲章を贈られ、平成三年には神戸市文化賞を受賞された。
その頃から先生もよく講演会に招かれたり、原稿を依頼されたりするようになったが、お住まいなどにはまったく無頓着で、阪神大震災で被災されるまで阪急六甲駅近くの木造二間きりのアパートに住んでおられた。やがて、こうしてすべてを投げ打って日豪交流のために尽くされている先生のもとへ、思わぬプレゼントが舞い込んでくることになる。
このことは先生がNHKラジオの「人生読本」で話されたこともあり、よく知られているが、津田塾時代の友人、加藤富貴子さんが「長屋に住んだりして、オーストラリアに夢中になりすぎよ。見ちゃいられないわ」といって一千万円をポンと寄付してくれたのである。さらに加藤さんが亡くなられたときもご遺族から二千万円贈られた。会員の会費と有志の寄付でまかなっている協会にとって、これほどありがたいことはない。この友情にあふれた寄付金はさっそく「加藤基金」と名づけられ、先生の理想を実現するため現在も有効に使われている。
故 古澤峯子先生を偲ぶ会
昨年亡くなった古澤峯子さんを偲び、オーストラリア建国記念日に近い今年1月28日、ラッセホールで「故古澤峯子先生を偲ぶ会」が開催された。
神戸日豪協会創立40周年記念祝賀会 2012年全国日豪協会連合会総会・神戸大会
■とき 2012年11月24日(土)
■会場 ANAクラウンプラザ神戸
■時間 15:30講演会(受付15:15~)
18:30祝賀会&懇親会(受付18:15~)
■会費 祝賀会&懇親会8,000円
講演会にも御出席10,000円
※駐日オーストラリア大使、ブルース・ミラー氏による講演会ならびに祝賀会&懇親会は会員以外の方もご参加できますのでご希望の方はお問い合わせください。
◆お問い合せ 神戸日豪協会078-252-0576